アジア女性基金・フィリピン

戦後フィリピンは、サンフランシスコ平和条約に調印した上で、

先の大戦に関わる賠償並びに財産及び請求権の問題は、

日本とフィリピンの間で法的に解決済みとしてきました。

そのため慰安婦問題も表面化しませんでしたが、

1992年6月にラジオ放送を聞いた

ロサ・ヘンソンさんが最初に元慰安婦であることを名乗り出て、

人権活動家のネリア・サンチョ氏等に会ったことから表面化しました。

ネリア・サンチョ氏はその後他の被害者からも聞き取りを始め、

被害者であるロラ(注:現地語でおばあちゃん)達は

1993年4月日本政府を訴えました。

原告は最終的に46名になりました。

1994年にはこれら被害者は「リラ・ピリピ-ナ」というNGOを立ち上げました。

アジア女性基金が始まると基金からの受取をめぐって

「リラ・ピリピ-ナ」が分裂し、2003年現在3つの団体ができています。

1996年8月13日、アジア女性基金はフィリピンの各新聞に基金の内容を公示しました。

 

●フィリピンにおける事業開始に関する新聞広告文

 女性のためのアジア平和国民基金は、

 このたび、先の大戦中に「慰安婦」とされた

 フィリピンの犠牲者の方々への道義的責任を果たすため、

 国民の償いの気持ちを表す一時金のお届けをいたします。

 なお、一時金をお届けする方に対して、

 日本国内閣総理大臣の手紙が届けられることになります。

 また、プライバシ-は保護されます。

 1 対象

 1995年7月19日(女性のためのアジア平和国民基金の設立日)現在

 ご存命の「従軍慰安婦」とされた犠牲者の方および

 その遺族(配偶者及び子)の代表者の方で、

 正規の手続きを経て認定された方

 2 受付期間  このお知らせの日より5年間

 以下省略

 

アジア女性基金としては「償い金」一人当たり200万円、

医療・福祉支援事業に120万円を支払いました。

期間は1996年8月13日~2001年8月12日です。

翌8月14日、認定を受けた4人の内3名に

アジア女性基金から「償い事業」の伝達式が行われました。

受け取った3名は次の方々です。

ロサ・ヘンソン

アナスタシア・コルテス

ルフィナ・フェルナンデス

その後も認定作業は続き、

基金側の説明では償い金を受け取った方も含め

結局211人が受け取ったとされています。

(2014年2月和田春樹東大名誉教授・元基金運営委員長)

 

そして2000年11月、フィリピンではあらためて、

日本に謝罪と国家補償を求める決議が上下両院に提案されました。