占領後の麻薬問題

阿片に関しては日本人里見甫が関係していました。

里見は陸軍特務機関に命じられ

中国の裏社会を傘下に置き阿片の販売を仕切っていました。

 

「アメリカ人・ベイツ報告書」 (M.S.Bates金陵大学歴史学教授)

   1938年1月25日

Ⅰ.形勢の急激な悪化

 いまの世代の人は、アヘンが南京で大量に供給され消費されるとは

 ついぞ知らなかったし、それが臣民と浮浪者を惹きつける方式で

 大っぴらに売り出されるとも知らなかった。

 とりわけこれまで5年間、

 政府が長期にわたって真剣にこの種の貿易を禁止し続けたのと、

 加うるに過去30年教育に努力したのとで、

 アヘンは使用量がごく僅かであり、ヘロインは全く知られていなかった。・・・・

 今や市政当局ないしは庇護を受けた人々が、

 誰はばかることなくアヘンを販売している。

 万をもって数えられる民衆が病みつきとなり、

 児童と多くの青年男女も含まれている。

 数千人がこの種の商売に従事している。

 統治者当局の圧力の下で、

 麻薬吸引に耽溺する新しい世代の人たちが出現した。・・・・

 公然たる吸引家庭の登録が、街に広告として貼り出され、

 彼らの産物が吸引者に健康と活力とを増進させるホラを吹き、

 政府側のある新聞が、市民を吸引所へと誘いをかけている。

Ⅱ貿易、価格、営業量

 ●アヘン

  政府の保存資料で調べたならば、

  南京では土膏行75軒だけ(今では200軒)が

  アヘンを販売していると人々は見なすかもしれない。

  けれども忘れてならないのは、

  まだ数としては非常に多くの、色々な名称の様々な規模の旅館や妓楼があり、

  加うるに個人の家庭に置かれている吸引用ランプで、

  免許証のあるのもないのも、いずれもが売買の仕事をしている。

  私の家に近い小さな地区には、

  市区の人口稠密な所ではないのに、

  あからさまな交易と販売のセンタ-が14ケ所ある。

  過去何日かの間に、日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦がいる

  ある一軒がアヘンを80箱買い込んだ。

  組織系列の販売人が言うには、

  2週間前に日本の代理店がイランのアヘンを200箱余り運んできたが

  その船荷はアヘン管理局と何らかの関係があったらしく、

  そのため留め置かれずに済んだ。

  アヘンは主として大連から上海を経て南京に供給されていて、

  それを示す証拠が充分にある。

  つながりある官吏が抑えている下での

  毎日の販売は原則として6,000オンスに制限されている。

  少なからざる販売が付近の村で行われていて、

  実際の販売総額は必然的に原則を上回っている。

  それでも6,000オンスとしても、毎日の卸価格は6.6万元、毎月220万元となる。

注:日本の代理店とは三井物産だと思われる。

 ●ヘロイン

  アヘンの取引と同様にヘロインにも恐るべき破壊性がある。

  ヘロインの営業総額の新たな伸びも、邪悪の世界に立ち込めていて、

  アヘンの金額と大体同じであろうし、

  それと関わっていいる人数もそれ以上かも知れなし。

  ヘロインは吸引がずっと簡便で、しかもごく少量で効き目が生じる。

  時価で言うと、麻薬中毒患者一人で廉価なアヘンなら

  毎日5角から1元吸わなければ駄目だが、

  ヘロインなら3~4角で済むと思われている。

  ある推定では、大体5万人がヘロインを吸っていて、

  南京の人口の1/8に相当するが、それよりずっと高い推定もされている。

  ヘロインの取引は全くの私営で、小売商、露天商、行商人と広汎に分散し、

  代理店の親友関係を通して掌握している。

  ある友人は販売するところを72ケ所知っている。

  一般的に言われているのでは、日本軍の情報部門がヘロインの

  半ば組織的な取引に密接に関係していて保護を与えている

  かなりの地位のある代理店が言うには情報部門に記録があり、

  南京を中心にした取引額は毎月300万元という。

  この手の取引の殆どが日本の会社の経営に帰し、

  それらの会社が表面では缶詰などの食料品や医薬品をやっていて、

  背後でヘロインを売りさばいている資料が充分にある。