1944年の細菌戦

[浙江省温州市のペスト菌実験]

日本軍では普通の村で村人に対し

ペスト菌の生体実験をしています。

その記録です。

浙江文史資料「鉄証」-侵華日軍在浙江暴行紀実-から

             1995年

●  村を封鎖し予防接種

 1944年9月19日、

 日本侵略軍・峰岸部隊約7~80人は、

 隊長伊藤に連れられて楽清翁垟に進駐し、

 九房村、陳叔興の新しい村を接収した。

 10月21日九房村を封鎖し、

 白いつなぎを着た数人の日本軍医療関係者が、

 人々に予防注射を打ち九房村に

 ペストが発生したといった。

 九房村は300戸余1000人余りの人口で

 住居がかなり密集している大きな村だった。

●  ペスト患者を次々実験に

 間もなく封鎖地区内で

 予防接種をした人が予定通り

 ペストを患い始めた。

 しかしこれがペストだとは誰もわからず

 脇や太腿に肉団子のような

 しこりが出来たと思うだけだった。

 屋外のあちらこちらで

 黒いネズミの屍骸が見つかった。

 白衣を着た日本軍医療関係者は

 いつも封鎖地区内を巡視し、

 家の中からうめき声や子どもの泣き声がり、

 あたふたした村民を見かけると、

 すぐに入って検査をした。

 村人の陳永盖は病気で床につき、

 日本軍医が検査した時に、

 リンパ腺が何ケ所か腫れているのが見つかった。

 日本軍はすぐに命令して

 彼を前祠堂の実験所に運び込ませ

 始めて実験をした。

 それから封鎖地区の疫病は

 非常な速さで蔓延し、

 病気にかかった者は100例近い。

 このように5人が実験された。

●棺をこじあけて採取

 封鎖が解かれた後も

 九房村は引き続きペストが発生し、

 後街・中街・前街でさえ感染者が出た。

 半月ほどたった後、

 突然白衣を着マスクをした

 数人の日本軍医務員がやって来た。

 かれらは1ケ月前に実験所で死亡した

 陳俊順と陳余千の母親の家族に案内させて、

 棺をこじ開けて死体から何かを取り出し、

 ガラスビンの薬液の中に入れて持ち帰った。

 実験で犠牲になった5人以外に病死したものは15人であった。