アジア女性基金
1994年、社会党の村山政権が誕生すると、
当時の与党だった社会党、自民党、さきがけの
3党で「戦後50年問題プロジェクトチ-ム」を発足させ、
その下に「従軍慰安婦等小委員会」を設置しました。
その委員会で調査した結果、
1995年7月15日
「国家の道義的責任は認めるが、法的責任はない」
そして「国民から償い金を募る」という
「女性のためのアジア平和国民基金
(通称アジア女性基金)」が発足しました。
対象となるのは、台湾、韓国、フィリピンで同時に
インドネシアとオランダが医療福祉の枠で追加されました。
● 内容
元従軍慰安婦の方々のため国民、
政府協力のもとで次の事を行なう。
1. 元従軍慰安婦の方々へ国民的な償いを行なうために
資金を民間から募金する
2. 元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉など、
お役に立つような事業を行う者に対して、
政府の資金等により基金が支援する
3. 政府は元従軍慰安婦の方々に
国としての率直な反省とおわびの気持ちを表明する
4. 政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、
歴史の教訓とする
注:まず、国がきちんと責任を認めて
謝罪と補償をしなければならないのに、
主体が国民や民間になっています。
また支援という言葉もありますが、
強姦の加害者が謝罪もしないで
支援をするというのはおかしい話です。
さらに、「歴史資料を整えて、歴史の教訓」も
一切行なわれず、
逆に教科書から消そうとしています。
日本の主要マスコミはほとんど
この国民基金を支持する状況でしたが、
韓国・台湾・フィリピンの被害者からは
猛烈な反対が起きました。
その後日本政府の立場は変わっていません。
むしろアジア各地で元慰安婦が名乗り出た時、
「反日的な日本人が焚きつけているのだろう」とか
「金欲しさにでたらめを言っている」等の中傷がありました。
政治家でも「商行為だった」等と侮蔑的な発言が相次ぎました。
政府が認めたことですら
このように文句をつけて抗議をする人がいます。
アジア女性基金はそのあたりの
バランスを取ったものといえるでしょう。
女性基金は民間からお金を集めて
単に見舞金を出すというもので、
実際は国の責任を逃れて
民間に責任転嫁するものです。
被害者がうるさいから
金をばらまいて騒ぎを収めるという考えです。
その為多くの被害者は受取りを拒否しました。
被害者が要求しているのはお金ではなく、
日本政府の調査・謝罪・補償だからです。
加害者の方が一方的に金を投げて、
これでいいだろうというのは
世の中では通らないでしょう。
加害と被害があったとき、
被害者から要求した内容に即するのが
世の中の常識です。
国民基金は元慰安婦からの申請期限を
5年と決めていますので、
国によっても異なりますが、
2001年から2002年で終了しました。
2002年7月現在で285人が償い金を受け取っています。
総額は5億7000万円とのことです。
国民基金は終了しましたが、問題も残りました。
アジア各地でやっとの思いで名乗り出た
元慰安婦の方々の現在の境遇は様々です。
国の謝罪を伴う保証がなくても、
目の前にお金をばら撒かれれば生活に困窮している人は
どうしても受け取ってしまいます。
しかも脅かしにも近い形で無理やりお金を渡したのです。
仕方なくお金を受け取ってしまった被害者、
あくまでも日本政府に謝罪を要求する被害者・・・・
揺れ動く心の狭間で被害者の団体が
分裂してしまった例もあります。
日本政府が中途半端なことをしたために、
かえって被害者に心の負担を増やしてしまったのです。
日本の姿勢が問題をこじらせたために、
アジアの各国政府は女性基金を拒否する方向で動きました。
● 台湾では「萬国法律事務所」を窓口に
1997年3月に新聞掲載で受付を始めました。
台湾では政府やNGO等の6者が協議して
慰安婦問題に対処していますが、
日本の国民基金には反対でした。
対抗措置として1997年12月、
日本政府から正式に補償が実行されたら
返済する立替え金という名目で
42人の被害者に台湾政府から200万円、
NGOから募金で集まった200万円が支給されました。
基金の元専務理事だった
和田春樹東大名誉教授によれば、
結果として36人に対して12人が
償い金を受取ったそうです。
● 韓国では1996年、
39団体と19人の国会議員が中心となって
「強制連行された日本軍従軍慰安婦問題解決のための
市民連帯」が大募金運動を始めました。
しかし1997年1月11日に日本が7人の被害者に
国民基金を抜き打ちに支給したために問題がこじれ、
1997年国民基金の活動をしていた
臼杵敬子氏を入国禁止とし、
更に1998年1月6日、
韓国の被害者や市民団体、韓国政府への事前の了解もなく、
日本が韓国の新聞に「償い金」支給の
全面広告を出した事から猛反発を受けました。
そして1998年5月に金大中政権が誕生した頃、
韓国国内では「国民基金」に反対して
募金運動が始まりました。
韓国政府は償い金に対抗して
生存者152人に、国民基金を受け取らない事を条件に
一人当たり約300万円の一時金と
毎月5万円の生活支援金の支給を開始しました。
事実上国民基金は凍結されたのです。
基金の元専務理事だった和田春樹東大名誉教授によれば、
結果として207人に対して60人は償い金を受取ったそうです。
● フィリピンでは国民基金の受取を巡って
「リラ・ピリピ-ナ」というNGOが分裂し、
現在は3つの団体ができています(2003年現在)。
450人位の被害者が名乗り出ましたが、
180人位が基金を受け取ったと見られています。
2000年11月、日本に謝罪と国家補償を求める決議が
上下両院に提案されました。
●オランダとインドネシアは医療福祉の施設が多いため省略します。
国民基金に対する対応は国によっても異なります。
韓国と台湾の場合は日本の植民地であった経緯もあり
「被害者への生活支援やケアは自分たちでするから、
日本は真摯の反省のもと、
日本政府にしか出来ない公式謝罪と
国家としての保障を行うべきである」という
考えが強いようです。
国民基金が残した問題点を少し整理します。
●被害者が求めた形ではなく、日本政府が勝手に決めたこと
●強引な支給で被害者が分裂したこと
●日本社会の本質的な意識改革につながらなかった
●国際社会特に国連からは認められなかった