日本政府の対応
日本に国会で初めて取り上げられたのは
1990年6月6日の参議院でした。
その時の政府答弁は
「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・・
やはり民間業者がそうした方々を軍と共に
連れて歩いているとか、
そういうふうな状況のようでございまして、
こうした実体について、
私どもとして調査して結果をだすことは、
率直に申しまして出来かねると思っております。」というもので、
つまり政府としては調査しないということです。
1990年5月、
韓国の盧泰愚大統領の訪日時に、
韓国の市民団体からの要望書が出された事はすでに述べました。
日本政府は1965年の「日韓請求権協定」で
すでに解決済みであるとの立場を取り、
韓国政府もそれに近いような考えでした。
しかし細かいところでは
両国の解釈や見解は違っていました。
● 日本政府は1965年当時、
議題に上がっていなかった「慰安婦問題」も
解決済みと主張し、
韓国政府は議題に上がっていなかった事は
含まれていず、未解決であると主張しています。
その後世界的に、国際法、上国家同士の協定があっても
個人の請求権は残っているのではないか、
という解釈が出始めました。
● 1991年8月27日、
参院予算委員会での柳井条約局長の答弁
「日韓両国間において存在しておりました
それぞれの国民の請求権を含めて解決したと
いうことでございますけれども、
これは日韓両国が国家として持っております
外交保護権を相互に放棄したということでございます。
したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを
国内法的な意味で消滅させたという
ものではございません。」と答弁しました。
これは画期的な解釈で、
国の条約局長が個人の国に対する
請求権を始めて認めたのです。