知られなかった慰安婦問題

日本の戦争犯罪者に対する裁判は、

A級裁判として主要戦争犯罪人、

BC級裁判として通常の戦争犯罪人が裁かれました。

中華人民共和国はABC裁判に属さず

独自に軍事法廷を開きました。

A裁判は東京で開かれた極東国際軍事裁判(通称東京裁判)、

BC級はアジア各地で開かれました。

(BC級と中国の軍事法廷については別の

「大東亜共栄圏のレポ-トに書きました」)

 

そのどの裁判でもオランダのBC級スマラン事件や

桂林の事件を除いては、ほとんど取り上げられていません

 

● スマラン事件 

 インドネシアで日本軍の捕虜になった

 オランダ人女性が強制的に慰安婦にさせられた事件です。

 オランダがインドネシアで開いたBC級裁判で、

 11人の軍人軍属が死刑を含む有罪判決を受けました。

 しかし、被害者の対象は、ほとんどアランダ人の女性に限られ、

 アジア人女性のことは取り上げられていません。

 欧米人のアジア蔑視があるように思われます。

 スマラン事件については後で書きます。

 

東京裁判では、

戦争犯罪の罪名は沢山ありますが、

強姦は殺人や掠奪、強盗と一緒に取り上げられています。

その為多くの訴えや証言がありながら、

強姦罪としては裁かれませんでした

そこで何故最近まで問題にならなかったのか

理由を考えてみました。

 

● 戦争をするのも男、裁くのも男、

 兵士(男)は戦争が終わって、勝てば英雄として帰国し、

 負けても死者は神として国家で祭られ、

 生きていれば一生年金(恩給)をもらえます。

 このような男中心の社会では

 「戦争に強姦や売春はつきもの

 と言う考え方が万国共通の意識だったのです。

 だから女性に対する人権侵害だとする意識がありませんでした。

 慰安婦に対する訊問でも単に売春婦として扱われています。

注: VAWW-NETJapan(戦争と女性への暴力-日本ネットワ-ク)が

    1999年8月15日と2000年4月23日に

    靖国神社に集まった元軍人たちに

    「慰安婦」についてアンケ-ト調査をしました。

    それによると、3分の2以上が「慰安所制度は必要」

    「慰安婦に謝罪・補償の必要はない」と、答えたそうです。

    そこには 戦争犯罪、性奴隷制

    女性への人権侵害という意識は見られません

● 裁くほうも、裁かれるほうも男ですから、

 戦争で人を殺したことは堂々と言えます。  

 しかし強姦や慰安所へ行く事はみっともなくて

 口に出しづらい面があり、  

 ぼかして済ませてしまう傾向があります。

● 強姦は陸軍刑法で厳しく罰せられていたので

 加害証言が出づらい。

● 日本軍が関連文書を徹底的に焼却し証拠隠滅を図った。

 しかしまだかなりの証拠文書が

 国に隠されていて非公開になっています。  

 少しずつは公開が始まっていて

 市民団体の調査が進んでいます。

 また国会議員でも超党派で取り上げられようとしています)

   注:自治省(総務省)だけで見ると2万メ-トルにも及ぶ

     戦争資料が保存されているといわれます。

                 (2003年現在)

 注:100名以上の国会議員が超党派で

   戦争資料調査及び公開に関する議案を

   国会に提出しています。

      (2013年現在国会ではまだ取り上げられていません)

● 戦勝国の政治的思惑

 東京裁判では途中で朝鮮や台湾に関する事が

 ウヤムヤになってしまいました。

 このことは恐らく日本の植民地政策を裁くと

 連合国が自らの首を絞める事につながるので

 政治判断で避けたものと思われます。

● アジアの被害国は、当面、

 戦乱で荒れた国土を再建し、

 経済復興を最優先にしなければなりませんでした。

 そのため、日本からいかに金を取るか

 経済的に友好を保つかが目的で、  

 慰安婦の問題もさることながら、

 国民個人の被害についても後回しにしていまいました。

注:2002年2月に田嶋陽子議員(当時)が

  インドネシアを訪問した時に、

  インドネシアのユスリル法務人権大臣は

  「インドネシアと日本の経済発展のためには

  過去の事よりも、日本との経済関係の

  未来のことの方が重要だ」と発言しています。

注:マレ-シアでも名乗り出た元慰安婦に対して、

  マレ-シア政府は政府間で決着済みで

  経済協力が大事だとして、

  元慰安婦の訴えを却下しています。

 

被害にあった女性は戦争が終わっても

心や体の傷は一生消えることはありません。

女性たちは・・・・

純潔を失えば女性として無価値と言う

意識に一生縛られたとえ強制とはいえ、

売春したという罪悪感を持ち           

生まれ故郷では汚い裏切り者と唾をかけられ           

家族は「家の恥じ」と考え           

社会は売春婦として蔑み

この中で一生を生きるのです。

ですから黙っていて名乗り出なかったのです。

 

そして90年代に入って、

やっと韓国の元慰安婦が証言を始め、

その後続々と証言者が現れるようになったのです。

 

つい最近1990年代の事です。