慰安婦の管理と生活
まず慰安婦たちの管理ですが、
正式な軍慰安所(民間、直営)について
回想録や資料を見てみます。
● 「武漢兵站」 山田清吉 漢口での慰安所について
1. 係りの下士官が、慰安婦の写真・戸籍謄本・
誓約書・親の承諾書・警察の許可証・
市町村長の身分証明書などを調べる。
2. 所定の身上調書用紙に、
前歴・父兄の住所・職業・家族構成・
前借金の金額、等を書き入れる。
後には、営業停止や病気入院、
「酒癖」等の特徴を追加していく。
3. 身上調書の写しを憲兵隊にまわす。
● 「在マニラ認可飲食店、慰安所規定」
1943年2月 発行 連合軍押収資料から
第2部 営業
11. 慰安所の経営者は左記について手配するものとする。
A. すべての寝室の寝具
B. すべての寝室および待合室の痰壷
C. 便所、その他の所定場所の消毒設備
D. 待合室に掲示する規則および料金表
E. 待合室ならびに個室に置く接客婦検診証明書
第3部 経営
13. 経営者は、慰安所の利用客に、
軍票と引き換えで「慰安券」を渡し、
接客婦が受け取った「慰安券」を記録するものとす る。
16. 慰安婦の収入の半分は、経営者に配分される。
17. 慰安婦のための食糧費、照明費、
薪炭費および寝具費は、経営者の負担とする。
接客婦は、衣服費、整髪費、化粧品代 等を
自己負担でまかなうものとする。
ただし、過労に起因する疾病の
治療費については、その70%を経営者が、
30%を 接客婦が支払うものとする。
個々の疾病が過労に起因するもので
あるか否かの判断は軍医の診断を基準とする。
21. 経営者は、接客婦の貯蓄を
可能な限り奨励するものとする。
その額は月当たり30円を超えてはならない。
22. 従業員には月に1回の休日を与えることができる。
これはそのたびごとにマニラ地区兵站担任将校に
報告されるものとする。
第4部 衛生
23. 接客婦は、通常指定された場所で
週に1回軍医による検診を受けるものとする。
芸妓以外の接客婦は、週に2回検診を受ける。
27. 慰安所の経営者は、性病予防具を用意し、
接客婦にこれを活用させるものとする。
28. 慰安所の経営者は、
次の性病予防措置を講ずる責任を負うものとする。
A. 消毒剤(濃度1/2000)の
過マンガン酸カリウムもしくは
0.5%のクレゾ-ル石鹸溶液を容器に入れて、
便所、その他特定の場所に置く。
B. 施設は内外ともに格別に清潔に保ち、諸用品を備える
C. 接客婦は、毎週必要に応じて
施設各所の洗浄ならびに消毒を行なう。
D. サックの使用を拒む者に対しては
接客婦との接触を禁止する。
E. 接客婦の生理期間においては性交することを禁止する。
F. 入浴は毎日行なう。
G. 接客婦の部屋にはワセリンを備える。
H. 寝具は、清潔なもののみ使用し、
頻繁に外気に当てて干す。
予備の寝具を用意する。
敷布と枕カバ-は、白いものを使用し、清潔に保つ。
I. 室内の照明及び新鮮な空気に格別の注意を払う。
つぎに慰安所内の様子や生活についてですが、
ほとんど資料が残っていません。
戦後旧日本軍人が書いた回想録等から見てみます。
● 「漢口慰安所」 長沢健一軍医大佐
漢口の積慶里慰安所は、
当初はアンペラ(ムシロ)で部屋を仕切り、
布団や食器類は、無人の中国人家屋から
設営隊員が徴発(掠奪)してきた物を配布した。
後には業者が板壁を張り、畳を入れ、格子戸を付け、
漢口に新しく進出した大丸や高島屋から
色鮮やかな寝具や調度品を入れた。・・・
● 「戦場道中記」 細川忠矩
長沙郊外にある慰安所では部屋は3畳で、
半坪の土間に布団が敷きっぱなしになっていた
● 「赤いチュ-リップ」 砂糖寛二
(石家荘の慰安所では)部屋は個室になっていて、
扉を開けると狭い土間がちょっとあるだけで、
座が設けられていた。
慰安婦はそこで生活しているので、
身の回りの品や家財道具が所狭しと置いてあった。
そして、一種異様な臭いが、
狭い部屋に染み付いていた・・・・
● 「オレはまんねん上等兵」 柳沢勝
(前線では)簡単な板囲いに、
中はアンペラ敷き、まるで簡易共同便所・・・・
● 松田才二さんの話
第8方面軍第6野戦憲兵隊少佐
女たちはひどい生活でしたね。
廊下の左右にうなぎの寝床のように
布で仕切られただけの2畳ほどの部屋があってね。
小さな包みほどの身の回り品を持っているだけ。
食事は乏しいもので、ごはんと味噌汁におしんこだけ。
健康を維持するにも足りません。
わずかの時間に裏の空き地で行水していました。
彼女たちの着物を洗うなどは
現地人の少年たちがやっていました。