生体実験の証拠資料
細菌部隊については国として
正式資料等を残しているわけではありません。、
現在の調査はすべて周辺の状況証拠を
集めて組立て判断しています。
しかしわずかながら発見されている資料もあります。
1983年秋に神田の古本屋に売りに出た資料です。
兒嶋俊郎氏が入手し慶応大学図書館が購入したものです。
発見された資料は次の3つです。
◎きい弾射撃ニ因ル皮膚障害並一般臨床的症状観察
◎破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋クロナキシ-に就て
◎関東軍防疫給水部研究報告
これらの資料を少し見てみます。
●きい弾射撃に因る皮膚障害並びに
一般臨床的症状観察
加茂部隊 池田少佐担当
1940年9月7日から10日にかけて実施された、
毒ガスのイペリット弾を発射させたり、
イペリットやルイサイトの水溶液を飲ませた
5種類の実験結果報告書です。
恐らくは毒ガス部隊である第516部隊と
協力した実験だと思われます。
イペリットはマスタ-ドガスとも言われ
糜爛性で致死性の毒ガスです。
ルサイトはより即効性のある致死性毒ガスです。
その両方とも砲弾に黄色い印を付けた為きい弾といわれました。
被験者は捕虜で柱に括り付けられ、すべて番号で呼ばれました。
報告書表紙の加茂部隊とは731部隊の秘匿名です。
原文はカナですが読みやすく直します。
読み取り不明は?とします
第一章 緒言
自昭和15年9月97日-至昭和15年9月10日・・・・
きい弾射撃を実施せり。
第一地域発射弾数は1ヘクタ-ル100発、
総数1800発(野砲に換算して)
射撃時間は40分、15分間射撃、15分間休み、10分間射撃なり。
第二地域においては発射弾数は1ヘクタ-ル200発、
総数3200発
第三地域は発射弾数1ヘクタ-ル300発、
総数4800発なり。
被験者は地域内の・・・・各所に配置せり。
第一地域陣地に配置せる者は
無帽、満服、下着、上靴を着用せしめ無装面とす。
第ニ地域陣地にては
無?夏軍衣袴上靴を着用せしめ無装面者3名、装面者3名とす。
第三地域陣地に配置せるものは
夏軍衣袴を着用せしめ無装面者2名、装面者3名とす。
き弾射撃後4時間、12時間、24時間、
2日、3日或いは5日後における
一般症状(神経障害を伴うものを含む)皮膚症状、
眼部、呼吸器、消化器における症状経過を観察せり。
尚水疱内容液の人体接種試験、血液像並びに尿検査を実施せり
第二章 症例
第一地域陣地内被験者の症状およびその後の経過
◎287号(注:731部隊の捕虜・マルタで番号で呼ばれます)
9月7日き弾射撃後4時間全身倦怠、口囲発赤を認め、
翌8日1時頃より全身倦怠、脱力感を覚え頚部発赤、
顔面浮腫、眼瞼浮腫状、前臍背面部発赤、
22時頃より口囲に粟粒大水疱発生あり
9日22時頃より口囲に多粟粒大ないし
米粒大の水泡発生、
10日17時発熱37度、
・・・・・以下省略
◎280号
攻撃後4時間頃全身倦怠、不機嫌となる、
皮膚は顔面、頚、前胸、肩甲、陰嚢に潮紅を呈す、
眼は羞明、流涙多量、結膜充血す。
8日6時頃より嗜眠顔面浮腫脈拍亢進す。
皮膚は頚、前胸、肩甲発赤、顔面
特に口唇と陰嚢に粟粒大の水疱発生し亀頭発赤腫脹を認む。
眼は流涙多量、眼瞼浮腫、
結膜浮腫並びに充血角膜混濁す。
鼻汁咳を訴ふ8日18時頃体温37度
皮膚は顔面頚部に米粒大の水泡散在す。
両眼瞼浮腫、結膜充血、開眼困難なり、
しわがれ声呼吸困難を訴ふ
・・・・以下省略
・・・・その後296号、294号、376号
第二地域陣地内
◎265号、464号、468号、499号、513号
(内容省略)
第三地域陣地内
◎303号、485号、486号、372号、358号
(内容省略)
[持続効力ならびに原水攻撃効力観察]
持久効力観察は,き弾射撃中止後約2時間半にして
被験物(人のこと)を配置し10日22時より
11日4時半まで放置して後観察す。
◎359号
11日9時食思不振脱力感を訴ふ。
皮膚は顔面特に眼瞼、鼻、口周囲、頂、
腋、頚、背、腰、右前脛、両大腿発赤潮紅す。
眼は羞明流涙、眼瞼浮腫、結膜充血、角膜混濁す。
鼻汁、頚内掻破感まらびに灼熱痛、咳、咽喉発赤す
以下省略
[原水攻撃効果観察]
(毒ガス液を直接飲ませるひどい試験です)
◎479号
9月7日 原水飲用(攻撃)セシム
同10日 20時右眼に原水点眼す
同11日 右眼結膜発赤充血を認むる
同8日 (攻撃後12時間)嘔吐、下痢、????、粘血便を排出す
以下省略
◎287号
9月9日 原水を木炭にて除毒せる水300竓飲用(攻撃)せしむ
原水イペリット 15mg/L
ルイサイト 15mg/L
同10日 10日中には著変なし
10昼9日の原水を活性炭にて除毒せる
水600竓飲用(攻撃)せしむ
以下省略
◎464号
9月9日の朝原水(イペリット148mg/L ルイサイト26mg/L)を
10日昼より飲用せしむるに
12時間後、食思不振、悪心嘔吐を訴ふ
11日食欲不振17時頃嘔吐3回悪心腹部圧痛あり
以下省略
第三章
水疱内容液の所見並びに人体試験成績
(以下長くなるので以降項目のみです)
[第一節 水疱内容液の所見]
[第二節 人体接種試験]
第四章 血液像の所見
第五章尿の所見
第六章結論
第七章 附記
注 番号は生体実験した捕虜の番号です。
たった一つの実験でこれだけの人間が犠牲になったのです。
●破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける
筋クロナキシ-に就て(原文カナ)
(指導 永山中佐)
陸軍軍医少佐 池田苗夫
陸軍技師 荒木三郎
要点
破傷風毒素と芽胞を人間の足背部に接種し、
発症時の筋肉の電位変化(クロナキシ-)を
測定した実権です。
対象になった人間捕虜(マルタ)は14人
全員が死亡しています。
結果
◎991号
破傷風芽胞300CCを皮下注射
測定位置
咬筋、鼻筋、眼輪筋、胸鎖乳頭筋、潤背筋肋骨筋、脛骨筋
結果 約10日で死亡
◎691号
破傷風毒素100MLD接種 経過極めて電撃的
測定位置
咬筋、鼻筋、眼輪筋、胸鎖乳頭筋、潤背筋肋骨筋、鋸歯状筋
結果 5日で死亡
◎595号
破傷風毒素10MLD接種 過極めて電撃的
測定位置
咬筋、鼻筋、眼輪筋、胸鎖乳頭筋、潤背筋、脛骨筋、腓腸筋
結果 7日で死亡
●凍傷に就いて (原文カナ)
第15回満州医学会ハルビン支部特別講演の要旨
昭和16年10月26日
満州第731部隊
陸軍技師 吉村寿人
注:吉村寿人は京都帝国大学医学部卒業
1938年満州第731部隊に陸軍技師として所属
終戦まで第一部細菌研究の中の
吉村班(凍傷研究)の責任者だった。
捕虜を使った凍傷実験で有名。
実験 1
凍傷の発生をみるために
塩水に手を入れさせ、徐々に温度を下げ
中指に装着した「ブレスチモグラフ」で
膚温度や指容積の変化を記録した
塩水温度は-20℃まで下げている。
被験者の数は不明
実験 5
実験3と同様にして諸種の生活条件を
変えたる後の血管反応の状況を観察し、
実験4に述べたる方法を以って抗凍傷指数を計算す。
5人の被験者に就いて検査せり
諸種生活条件変更
水浴後 10℃水中 10分
温浴後 40℃の湯 10分
運動直後 背筋力計 15分連続
満腹直後 過飽食(飯4杯 ?2人前)
空腹 Ⅰ 絶食 2日後
空腹 Ⅱ 絶食 3日後
睡眠不足 一昼夜不眠
夏季(8月初め) 室温25℃
春季(4月中旬) 室温16℃
温室(30℃) 4月調査
実験 6
苦力101名につき抗凍傷指数を求め
之を年齢別に統計せるものなり