日本の毒ガス専門部隊

2000年に群馬県沼田市にあった

日本軍の毒ガス専門部隊の資料が発見されました。

資料は群馬県埋蔵文化財調査事業団の菊池実専門員が

防衛庁防衛研究所の図書館で発見したものです。

 (2000年10月17日、東京新聞)

 

資料は「迫撃第1連隊」教育・演習マニュアル

(参考綴)となっていますが、

資料表紙には秘密を守る為

「東部第41部隊」と書かれてあります。

迫撃第1連隊は1940年に松江市の連隊に

国内初の化学戦専門部隊として作られ、

翌1941年12月に群馬県の沼田市に移転した部隊です。

資料は1942年~1943年にかけて作られたと見られ、

対ソ連戦を想定して作られた部隊と思われます。

その中の「ソ軍」化学戦の概要には、

ソ連軍化学戦部隊の指揮系統や戦力分析、

攻撃・防御装置一覧などが4章にわたって書かれています。

 

●「瓦斯使用方式及運用の大要」のソ連軍について(原文カナ)

 平時より化学戦に関する

 統制機関、化学戦部隊を常置し・・・・

 化学戦準備を整えて・・・・

 特に国境に近く多数の化学戦部隊及資材を準備している・・・・

 瓦斯を大規模に用いる企図を有し・・・・

 防御及退却作戦でしばしばこれを用いる様である

 

訓練結果を報告したところでは、

訓練で数十人の傷病者が出たことになっています。

そして傷病の内容からイペリットガスだと想像できます。