海軍の毒ガス生産量
前の項目にも書きましたが
毒ガス製造は陸軍に目立ちます。
それでは海軍ではどうだったのかというと、
海軍は相模の海軍工廠で製造していました。
●相模原海軍工廠
相模原海軍工廠は1930年に移設された
海軍技術研究所・化学研究部第2科
平塚出張所からスタ-トしました。
1942年に昭和産業寒川工場を買収して
規模を拡大しました。
主とした業務は毒ガス兵器・防毒兵器のほか、
発煙剤・焼夷剤・船舶用消火剤・
防空気球・潜水艦用発泡剤などの製造です。
工場では約3,000人の学徒動員・女子挺身隊など
強制連行された朝鮮人が働いていました。
海軍と陸軍とでは毒ガスの呼び方が異なっています。
まず通称の比較の表です。
●毒ガスとその通称
毒ガス名 | 海軍 | 陸軍 |
クロルアセトフェノン | 1号特薬 | みどり1号 |
ジフェニル・シアンアルシン | 2号特薬 | あか1号 |
イペリット | 3号特薬甲 | きい1号 |
ルイサイト | 3号特薬乙 | きい2号 |
青酸 | 4号特薬 | ちゃ1号 |
ホスゲン |
| あを1号 |
海軍での毒ガス生産量は資料不足ですが、
米軍の資料から生産量と弾薬量の2つを見てみます。
●海軍の毒ガス生産量(単位:メ-トルトン)
日本軍の化学戦に関する情報報告
第3巻 日本軍による化学戦資材の生産から
アメリカ極東陸軍総司令部主任化学将校室
1946年3月1日
年 | イペリット(ドイツ式) | ルイサイト | ジフェニ-ルシアンアルシン | クロロアセトフェノン | 計 |
~1941 | 30 | 5 | 30 | 20 | 85 |
1942 | 80 | 5 | 50 | 20 | 155 |
1943 | 200 | 5 | 40 | 40 | 285 |
1944 | 190 | 5 | 0 | 40 | 235 |
1945 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
計 | 500 | 20 | 120 | 120 | 760 |
●海軍の毒ガス弾生産量(単位:発)
兵器名 | 種類 | 1941年 | 1942年 | 1943年 | 1944年 | 1945年 | 計 |
12センチ砲用型薬缶 | 糜爛性 | 7000 | 3000 | 0 | 0 | 0 | 10000 |
12.7センチ砲用〃 | 〃 | 5000 | 4000 | 0 | 0 | 0 | 9000 |
14センチ砲用〃 | 〃 | 4000 | 3000 | 0 | 0 | 0 | 7000 |
15センチ砲用〃 | 〃 | 3000 | 4000 | 0 | 0 | 0 | 7000 |
60kg爆弾〃 | 〃 | 0 | 0 | 0 | 35000 | 600 | 35600 |
60kg1号2号爆弾 | クシャミ性 | 0 | 2000 | 0 | 0 | 0 | 2000 |
|
| 19000 | 16000 | 0 | 35000 | 600 | 70600 |
日本の資料には敗戦時の製造施設の
一覧表がありますので記載します。
民間企業の分も含まれています。
●敗戦時における相模海軍工廠毒ガス製造施設成況
「相模海軍工廠」刊行会編 1984年
施設種類 | 工場名 | 能力(トン) | 完成期日 |
1号中間薬 アセトフェノン | 相模工廠 平塚分工場 | 年 150 | 昭和11年 |
〃 300 | 〃 12年 | ||
1号特薬 塩化アセトフェノン | 同上 | 〃 360 | 〃 13 |
2号中間薬 フェニル亜砒酸 | 同上 | 〃 450 | 〃 13 |
2号特薬 ジフェニル・シアンアルシン | 同上 | 〃 240 | 〃 13 |
3号中間薬 オクゾ-ル | 同上 | 〃 60 | 〃 13 |
同上 | 旭電化工業 屋久工場 | 月額 20 | 未完 |
同上 | 三井化学工業 三池染料工業所 | 〃 20 | 未完 |
同上 | 東洋製薬化成 出来島工場 | 〃 10 | 未完 |
3号特薬甲 | 相模工廠 | 年額 1,000 | 昭和19年 |
3号特薬乙 ルイサイト | 相模工廠 平塚分工場 | 〃 60 | 〃 14年 |
*軍の工場だけではなく民間会社も
毒ガスの製造に関わっていたことがわかります。