生産地での被害
毒ガスを使用した中国だけではなく、
実は生産をしていた日本でも被害は出ていました。
生産地の広島県大久野島や相模原の
日本人作業員が毒ガスにやられています。
戦後毒ガスの後遺症で死亡した人は1,900人を超えます。
国家公務員等共済組合連合会忠海病院の行武院長の談話では、
多くは呼吸器のガンで、通常より20倍も高い発生率だそうです。
現在でも4,500人位の人が政府に対し
「原爆に対するのと同じような補償」を求めています。(1997年現在)
1951年に被害者団体は「せめて原爆なみの救済を・・・・」と、
政府に請願しました。
政府の対応は「国際法違反を認めるような法案の審議は
我が国にとって好ましくない・・・」と審議は中止され、
その代わり旧日本陸軍共済組合特別措置法を適用し、
「ガス障害者救済のための特別措置要綱」が決められました。
これは旧陸軍共済組合・・・・と言う建前なので、
ガスによる被害が確実でも、
旧陸軍との雇用関係が証明できないと
対象にならないという片手落ちの処置でした。
また「毒」という字を外しているのも
その場逃れのごまかしでしょう。
実は戦後、日本国内に関しては
占領軍の英連邦軍が毒ガス弾の処理担当しましたが、
その「毒ガス廃棄報告書」によれば
処理作業で2名の死亡者、
100名以上の負傷者が出ているそうです。