東京裁判でのうやむや
東京裁判で捜査を担当したト-マス・モロ-大佐は、
1946年3月中国を訪問し
毒ガス使用の調査をし証拠を集めました。
裁判での起訴状には毒ガスについて書かれていましたが、
1946年8月12日、
モロ-は突然アメリカに帰国してしまいました。
その為か結局裁判では取り上げられず
うやむやになってしまいました。
(立教大学粟屋教授の調査から)
突然の帰国の正確な理由はよく分かりませんが
恐らく次の事が考えられます。
●考えられる理由
☆毒ガスを裁くと細菌戦の事実も明るみに出る。
(秘密で細菌戦の資料をアメリカが資料を欲しかった)
☆毒ガスを裁くと逆にアメリカの原爆投下も問題になってしまう。
☆日本の毒ガスを過度に追求すると、
将来米英は使用しづらくなる。
●米陸軍化学戦総括部隊部隊長
マッカ-サ-大佐の覚書 (中央大学吉見教授調査)
日本の毒ガス戦争を追求断罪したら、
米国では今後毒ガスを戦争手段として使用できなくなる。
裁判の訴因から毒ガス戦の追及を外すよう働きかけるべきだ
追求されなかったばかりに闇から闇へと葬り去られ、
私たち国民もその事実を知らず、
日本政府も毒ガス等を使用しなかったという
立場を取ってきました。
しかしながら1992年、
中国に大量の毒ガス弾が放置されている事が発覚しました。
中国政府の発表では200万発とも言われます。
日本政府はその後も無視し続けましたが、
自衛隊が現地調査をして、
旧日本陸軍の弾薬だと確認されました。
日本政府はそれでも尚
「確認はしたが、当時使用したのは
催涙ガスとくしゃみガスのみで、
他の毒ガスは使用していない」と主張しています。
事実はどうだったのか?
今回のテ-マです。