供出機関
供出機関として華北労工協会を始めとした
5つの機関が窓口になっています。
実際にどのような機関だったのでしょうか?
●華北労工協会
設立 1941年7月
資本金 40万円
内訳 中国側 華北政務委員会 20万円
日本側 北支那開発(株) 20万円
注:北支那開発は華北の鉱山資源の
掠奪を目的にして日本の帝国議会の
承認を受けた国策会社。
興亜院の管轄下に置かれる
目的
華北の労働力を
現地、華北・満州・日本に調整配分する
賃金の統制、労働者の郵送手配をする
地位
形式上は中国法人だったが、
実際は北支那方面軍や
興亜院華北連絡部の指導下にあった。
注:興亜院に付いては
「日本軍による阿片政策」に書きました
●華北運輸公司(華北交通(株))
設立
1939年4月
中国臨時政府(日本の傀儡政権)の特殊法人として設立
南満州鉄道の業務を引き継いだ
目的
軍事輸送と石炭、鉱石、綿花等の資源輸送
会社自体が警務機関を持ち
政府と企業の権益を守る義務を負っていた
主として満州へ年間数万人を
徴発(強制連行)し送り込んだ
以下省略
直接日本本土ではありませんが、
満州国への労働力供給の資料があります。
満州国へも日本へも強制連行は
同じようなものなので参考までに書きます。
1941年4月、北京で「満州・北支労務対策会議」が
関東軍の申し入れで開かれました。
理由は満州国の労働力が不足したためです。
●満州・北支労務対策会議
出席者 満州国側 関東軍 黒川参謀以下
満州労工協会
満州土建協会
満州炭鉱
華北側 北支那方面軍
興亜院華北連絡部
華北交通 他
会議では昭和16年度の
華北から満州への労働力供出、
110万を絶対確保する事とし、
その方策として「治安工作と労働者募集との連携」や
「討伐作戦及びこれに伴う
政治工作と労働者募集」等が決まりました。
詳しい内容は不明なため、会議に出席した者の日記を参考にします。
●榊谷仙次郎 日記 満州土木建設協会理事
4月4日
・・・・有末参謀副長出席され、
労力募集について色々御話もあり協議されたが、
中馬少佐と塚本その他の北支那参謀との間に
大分意見の衝突がある。
中馬さんは、北支那は満州国において必要な労力は
当然協力して送るべきだと言う態度。
しかしながら参謀中佐(北支那軍)がなかなか聞かず、
そんな勝手なことを言われても
北支には北支の建設があり、責任がある。
関東軍の命令的支配は
受くるべきではないと主張した。・・・・
どちらも意見を主張してこのまま喧嘩別れに
なりはしないかと心配もされたので、
僕も口ばしをいれ、
現在のところでは27万募集の予定が
3分の1の9万も難しいのです。・・・・
せめて15万位になるように
北支軍のご協力をお願いしたいのです。・・・・
北支那軍としては募集に最も有利な地区に
討伐をやって頂ければよいのです、と話したところ、
有末大佐は、よし討伐しよう、
どの方面を討伐するか・・・・
4月5日
・・・・本日は討伐の打合せをなす。
滄州県、塩山県、済南、青島の
重要な所を10日頃より討伐を始め、
1週間位で終了するから、
その後に募集従事者は乗込んで募集してもらいたい・・・・
この時点では、満州国へ労務者を
供出することも困難になり、
強引な討伐に頼るようになったのです。
更に日本本土にも労務者を供出する事が
決まったので更に強引な連行が行なわれるようになりました。
ウサギ狩りのように
軍隊を使って手当たり次第狩り集めたのです。