ミクロネシア
小笠原諸島から赤道までの広大な面積を
南洋諸島とかミクロネシアと呼んでいます。
その地域でグアム島はアメリカの、
その他はドイツの植民地でした。
第1次世界大戦で日本はドイツに宣戦布告し
グアム島を除くミクロネシア一帯を無血占領しました。
ベルサイユ条約の結果、
南洋群島は日本の委任統治領、
つまり実質的に植民地のようになったのです。
1914年の事です。
地域的にはマリワナ諸島、
西カロリン諸島、東カロリン諸島、
マ-シャル諸島で、非常に広大ですが、
陸地面積は少なく、2149平方キロメ-トルです。
その中で1番大きな島がサイパンです。
1922年には、
日本の行政機関の「南洋庁」がパラオ諸島のコロ-ル島に出来て、
サイパン、ヤップ、トラック等6ケ所に支庁が作られました。
●南洋庁
日本の植民地では最後に出来た政府機構です。
朝鮮や台湾は格が上で総督府が出来、
庁は樺太庁、関東庁、南洋庁でした
●6ケ所の支庁区
パラオ支庁区
ヤップ支庁区
トラック支庁区
ポナペ支庁区
ヤル-ト支庁区
サイパン支庁区
●サイパン
今でも日本からの観光客で賑わっていますが、
当時も2万人を越える日本人が住み、
ガラパンは南洋の東京と呼ばれたそうです。
ガラパンには南洋庁支所、地方法院、郵便局、
各種学校(実業高校や高等女学校も含む)等の
公共施設を始め、旅館、遊郭、百貨店、映画館、
新聞社、銭湯、すし屋、豆腐屋・・・・まであり、
まさに日本の地方都市の様だといわれました。
第2次世界大戦が始まると
日本軍はすぐにグアム島を占領しましたから
敗戦までは全地域を占領していた事になります。