駆逐艦・秋風での処刑 

1943年3月8日、

ラバウルを出発した駆逐艦「秋風」は

民間抑留者(現地人や白人)をラバウルに移動させる為、

ニュ-ギニアのカイリル島や

ロレンガウで抑留者を乗船させました。

3月16日、ニュ-アイルランド島に停泊したときに

処刑命令が手渡されたと思われます。

秋風の船長の顔は真っ青で

「ラバウルからの命令で抑留者たちの殺害を命じられたが、

私は彼らを殺したくない」と語った。

また乗組員も命令を拒否したかった。

しかし、軍の命令は絶対でした。

3月17日、船尾に木の台と、

その上に吊り処刑台が作られました。

1人ずつ呼ばれ、初めに司教が、

次に男性達が銃殺された。

さらに女性が続く。

皆着物を脱がされ下着だけにされた。

目隠しをされ、後ろ手に縛られた。

そのままロ-プで吊り上げられた。

4人の機関銃兵と1人のライフル銃兵が銃殺し、

死体は海に投げ入れられた。

3人の子どもは生きたまま海に投げ入れられた。

犠牲者は子ども3人を含む完全な民間人で62名でした。

 

この事件は日本人が全員死亡という事で、

細かいことが良く分からず、

東京裁判でも真相は解明されませんでした。

ところが、2018年12月にホ-ムペ-ジの読者から

一通のメ-ルが入りました。

内容は

「私の父は、秋風事件のただ1人の生き残りです。」

衝撃的なメ-ルでした。

歴史の一つが解明される・・・・

そこで週刊金曜日に依頼して取材したのが以下の記事です。

記事になってから1年以上経過したのでHPに掲載します。