記録・証言
三光作戦に関わった日本側の資料を少し書きます。
全て当事者の資料です。
●第一軍参謀長 田中隆吉少将の指示
1940年(独立混成第4旅団 第1期晋中作戦戦闘詳報)
原文カナ
目標線進出後反転して行なう作戦においては
徹底的に敵根拠地を燼滅掃討し敵をして
将来生存する能はざるに至らしむ
●燼滅目標及び方法 第1次晋中作戦履行実施要綱より
原文カナ
1 敵及び土民を仮装する敵 殺戮
2 敵性ありと認むる住民中
16歳以上60歳までの男子 殺戮
3~5省略
6 敵性部落 焼却
●独立混成第4旅団 第2期晋中作戦戦闘詳報より 1940年
原文カナ
8月以降連日の討伐及び粛清作戦により、
敵第18集団及び129師主力は
徹底的にその根拠地を覆滅せられ
加うるに、我が徹底的な燼滅掃討により
その宿営地たる主要部落を焼却せられたる、
各軍事施設特に兵器工場火薬庫糧秣倉庫等を
破壊せられたるをもって、その活発なる行動は困難ならし・・・・
将来の参考事項
1 燼滅を徹底せしむるため、
各縦隊に工兵を附し、
又爆薬、焔弾燃焼の資料の準備は絶対必要なり
2 燼滅に方り苦力等の掠奪強姦等軍紀を乱すものあり、
厳に留意を要す
3 燼滅なるも重要書類の押収、
敵の事情調査に有利と認める
男女の生捕りは努むべきものなり
(注:生捕り以外は殺害したということです)
●第27師団冀東東部地区隊長 鈴木啓久少将の回想
(戦争叢書 北支の治安戦 2)
1942年3月下旬、方面軍は
八路支配地区を徹底的に隔絶するため、
図上で遮断戦を示してきたが、
それは現地の実情を甚だ無視したものであった。
地区隊は本指示により、
一連の壕とこれを火制する望楼を構築し、
八路軍の移動と物資の流通阻止に努めた。
この工事に動員した民衆は延べ60万人を超え、
農作物の収穫に少なからず損害を与えた。
・・・・方面軍はまた八路軍の根拠地である
長城線に沿う地区を無住地帯にするように命じてきた。
地区隊は武力を用いて立ち退きを強制したが、
この処置は特に住民怨嗟の的となり
「三光作戦」だとして八路軍に利用された。
●上記 鈴木啓久少将の供述書 中国での軍事裁判
1952年分 原文カナ
9月下旬頃より12月までにわたり、
方面軍司令官岡村寧次の計画にもとづき
師団長原田熊吉の命令により
八路軍の活動を阻止しあるいは殲滅する目的をもって
上幅4~5米、深さ2~3米の遮断壕及び付属望楼を
左記の如き地線に構築しました。
その壕の全長約109キロで・・・・
●支那駐屯歩兵第2連隊史(観音寺部隊誌) 1942年分
11月5日所命の期限に先立ちて
師団の計画並びに地区対独自の計画に基づく
工事その他の施策を完了せしが
遮断壕 245キロ、その他の遮断線工事 74キロ、計319キロ、
框舎132箇、堡塁3箇、城塞18箇、関門2箇、
計155箇を構築し、
以上の工事に要せし日数52日、
作業人員延1,957,000人、
・・・・長期無住地帯76部落1,235戸、6,464人、
一時無人部落28部落2,342戸、12,036人に達したり