戦後

米軍は4月1日に本当に無血上陸してから4日後、

早くも4月5日には、読谷村渡具知に軍政府を開設しました。

それに先立つ3月26日に

ミニッツ布告(米国海軍軍政府布告第1号)を出して

琉球諸島を本土から分離する事を宣言していました。

 

●チェスタ-・ミニッツ

 アメリカ軍海軍元帥。

 沖縄攻略戦(通称アイスバ-グ)作戦に先立つ

 1945年3月26日ミニッツ布告を出した。

●米国海軍軍政府布告第1号(現代文に直しました)

 米国占領下の南西諸島及びその居住民に告ぐ

 日本帝国の侵略主義並びに米国に対する攻撃の為、

 米国は日本に対し戦争を遂行する必要を生せり

 かつこれ等諸島の軍事的占領及び軍政の施行は、

 わが軍の遂行上並びに日本の侵略力破壊及び

 日本帝国を統括する軍閥の破滅上必要なる事実なり

 治安維持及び米国軍並びに居住民の安寧福祉確保上、

 占領下の南西諸島中本島及び他の島、

 並びにその近海に軍政府の設立を必要とす

 故に本官は・・・・次の如く布告す

 1 南西諸島及びその近海並びにその居住民に関する

   全ての政治及び管轄権並びに最高行政責任は

   占領軍司令官兼軍政府総長米国海軍元帥たる

   本官の機能に帰属し本館の監督下に部下指揮官により行使さる

 2 日本帝国政府の全ての行使権を停止す

 4 本官の職権行使上、必要を生せさる限り、

    居住民の風習並びに財産権を尊重し、現行法規を持続す

 5 全ての日本裁判所の司法権を停止す・・・・

      以下省略

 

1946年1月29日、

マッカ-サ-のGHQ覚書によって、

正式に南西諸島が日本から分離されました。

 

●マッカ-サ-による暫定行政区域の設定(連合軍総司令部覚書)

 第3項(要旨)

日本の範囲に含まれる地域として、

日本の四主要島嶼(北海道、本州、九州、四国)及び対馬諸島、

北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む

約1千の隣接小島嶼を含む

ものと規定されました。

また、日本の範囲から除かれる地域として、

鬱陵島や済州島、あるいは伊豆、

小笠原群島に並び竹島も列挙しました。

 

1947年9月22日の天皇メッセ-ジが出ます。(世界1979年4月号)

米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう希望する・・・・

 

1951年9月8日、

サンフランシスコ条約で信託統治案が出て、

沖縄は分離されました

1972年の本土復帰をへて、

尚日本からアメリカの軍事基地を

押し付けられて現状に至っています。

 

「信託統治問題」

1972年に沖縄は本土復帰をしましたが、

沖縄はどこから返還されたのかと言う問題があります。

 

国連の信託統治制度で

アメリカが管理していたのだと言う考えがあります。

もしそうならば国連から返還されるべきです。

●信託統治

 国連憲章第75章で規定された制度で、

 国際連合の信託を受けた国(アメリカ)が、

 国連総会及び、信託統治理事会の監督により

 (沖縄を)統治する制度です。

 

沖縄はアメリカの占領だったのか、

信託統治だったのか・・・・

 

サンフランシスコ条約を見てみます。

●サンフランシスコ講和条約 第3条

 日本国は、北緯29度以南の南西諸島

 (琉球諸島及び大東諸島を含む)、

 孀婦岩の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)、

 並びに沖ノ鳥島及び南鳥島を

 合衆国(アメリカ)を唯一の施政者とする信

 託統治制度の下におくこととする

 国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。

 このような提案が行われかつ可決されるまで、

 合衆国は領水を含むこれらの諸島の領域及び

 住民に対し、行政、立法及び司法上の権力の全部

 及び一部を行使する権利を有するものとする。

 

この文面を見る限り、アメリカは提案をし、

その提案に国連は同意するとだけかかれています。

ただし正式に提案がなされ、可決されてからの話です。

それまでは通常の占領です。

しかしその後アメリカは正式な提案はしていません。

つまり沖縄は信託統治ではなく、

ずるずるとアメリカに占領されていただけです。

アメリカにとっては軍事基地の必要性から、

信託統治より単なる占拠・占領の方が都合よかったということです。

ですから、アメリカから返還されたのでしょう。

 

「ネコとネズミ発言」

   大城将保氏の「琉球政府(ひるぎ社 1992年)」に

   米海軍軍政府ワトキンズ少佐の発言が書かれています。

   週間金曜日、2014年1月17日号の佐藤優氏の文章から転用します。

●軍政府政治部長 ジェ-ムス・T・ワトキンズ少佐の発言

 ・・・・大多数の将校は沖縄人を信用していない。

 陸海軍の将校は政治に幼稚であり、

 デモクラシ-も知らない。

 軍の方針にそわないものは軍の方針で押える・・・・

 数日間で政治機構ができるが、

 米軍としてはそれをつぶすのも朝飯前である。

 米国では民衆の声を重視するが、

 沖縄は敵国だから民衆の声はない・・・・

 たとえば軍政府はネコで沖縄はネズミである。・・・・

 ネズミはネコの許す範囲でしか遊べない・・・・

 

この発言はネコがうっかりネズミに

襲い掛からないように統治機構を

考えようとする発言の一環なのです。

しかし「ネズミはネコの許す範囲でしか遊べない」と言う言葉は、

アメリカと沖縄の関係、

つまり支配者と被支配者の関係を表しています。

現在の日本との関係を見ると、まさにネコとネズミの関係です。

日本政府の許す範囲でしか行動できないし、

反したら力と金で押しつぶすのですから・・・

 

「キャラウェイ旋風」

  1963年3月5日、沖縄のキャラウェイ高等弁務官は

  那覇ハーバ-ビュ-クラブの「金門クラブ3月」例会で発言し、

  その内容が波紋を起こしました。

注:キャラウェイ高等弁務官は1961年2月着任、

  64年7月退官、絶対権力者として君臨し、

  “キャラウェイ旋風”といわれる強引な統治をした。

●翌6日の琉球新報朝刊の要約です。

 見出し 

  自治は神話である

  委譲するのは“責任”

  能率低い琉球政府

 内容   

  自治とは現代では神話でしかあり存在しない。

  琉球が再び独立国にならないかぎり不可能

  琉球政府への権限委譲は行政命令にも規定し、

  努力も払われているが現在の琉球政府の状態ではまだまだ

 

この発言は県民の反発を招き沖縄各党は批判しました。

 社大党委員長安里積千代  

  沖縄が植民地であることを弁務官自身が裏付けた民主主義の否定

 社会党政審会長岸本利実  

  弁務官は法なりの独裁支配、植民地支配

 人民党書記長古堅実吉   

  沖縄県民の解放の盛り上がりに弁務官が直接統治による弾圧に出ることを示す

 

今回の(2015年4月現在)安倍総理や菅官房長官の

対応を見ているとキャラウェイ旋風を感じさせます。