傷病兵虐殺
戦時国際法では野戦病院は安全を保証されていましたが、
日本軍の軍律では戦陣訓で
捕虜になる事は許されなかったので、
南部へ撤退する時に足手まといになる
重傷兵士を手榴弾や毒薬で殺すことが決められました。
*南風原の陸軍病院で約2,000名の患者が青酸カリで自決した
*新城の山部隊野戦病院では約1,000名を衛生兵が銃剣で刺殺した
「玉那覇春子さんの話」
具志頭村新城のガラビガマ(ガラビ洞窟)に
山部隊(第24師団)の野戦病院分院ができた。
足腰の立つ者は全部部隊に協力した。
6月に入ってから、前線から兵隊が撤退してきた。
避難民に退去命令が出、野戦病院は解散した。
新城の女子救護班の話では、
撤退する時、重症患者は自決させられたという。
洞窟内には約1,000名くらいの傷病兵が収容されていたが、
自分で歩けない者には青酸カリが配られた。
最後には衛生兵が銃剣で一人一人刺し殺したということであった。
その他各地の病院でも同様であったとされ、
5,000人から6,000人が殺害されたと言われています。