チンタオでの阿片政策

第一次世界大戦で日本は山東半島を占領し

1914年から1922年まで日本の軍政下に置きました。

青島軍政署は阿片専売制度をとり劉紫山という者に事業を委託し、

劉は保証金20万円を軍政署に納め、

「大日本阿片局」の看板のもとに阿片の卸・小売業を営みました。

販売利益は軍政署7割、劉3割の分け前でした。

 

原料は現地か台湾やインドから輸入し、

製品は日本軍の護衛付きで運んだと言われています。

 

●「武装せる市街」 1930年 黒島伝治

 武器を扱う商売が硬派だった。

 そして、阿片、モルヒネ、コカイン、

 ヘロイン、コデイン等を扱う商売が軟派だった。

 すべて支那人相手の商売である・・・・

 邦人達は、たいてい、この軟派を仕事としている。

 饅頭屋、土産物産、時計屋、骨董屋などの表看板は、

 文字通り表看板に過ぎなかった・・・・

 そんな商売をやる人間がここには一千人からいた。