南京占領方針と安全区への対応

陸軍中央は「国際法は守らなくとも良い、

捕虜と言う名前は使うな、

仮に殺害しても問題にはならない・・・・」と

言っただけで、

何も大量虐殺を認めたわけではない、

と言う弁明も出来るでしょう。

しかし陸軍中央が捕虜に対する

基本政策を示さず、現地任せの判断にした事が、

現地軍では虐殺の許可と受け取って

勝手な事をしたのでしょう

民間人、外国人、投降兵に対しては

被害を与えないように配慮した面があることは

軍としては当然です。

日本軍が外国の首都に

入城することは初めてなので、

占領後の入城部隊がきちんとした

行動を取るように中支那派遣軍では

規制策を準備していました。

 

● 南京城の攻略及び入場に関する注意事項      

 1. 部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、

  支那軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ、 

  いやしくも名誉を毀損するがごとき

  行為の絶無を期するを要す     

 1. 別に示す要図に基づき外国権益とくに

  外交機関には絶対に接近せざるはもとより、 

  とくに外交部が設定を定義し

  我軍に拒否せられたる中立地帯には、 

  必要のほか立ち入りを禁じ、

  所要の地点に歩哨を配置す      

 1. 入城部隊は師団長がとくに

  選抜せるものにしてあらかじめ注意事項、 

  とくに城内外国権益の位置等を徹底せしめ、

  絶対に過誤なきを期し、 

  要すれば歩哨を配置す

 1. 略奪行為をなし、また不注意といえども

  火を失するものは厳罰に処す     

  軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入城せしめ不法行為を摘発せしむ

 

● 松井石根大将が東京裁判用に記述した文書

    「支那事変日誌抜粋」(原文カナ)

 敵軍といえども既に抗戦意思を失いたる者に

 対しては最も寛容慈悲の態度を採り、

 尚一般官民に対しては常にこれを

 宣撫愛撫するに努め、

 皇軍一過所在官民をして

 皇軍の威徳を仰ぎ、

 欣て我に帰服せしむるの概あるを要す

 

一応の努力として軍は

大使館や外国権益を記した地図を多数作ったり、

国際安全区を尊重する指示をだしました。

しかし実際は民間人と敵軍兵士を

区分する事は困難だし、

上海から南京に到るまでもすでに

メチャメチャな行動を取っていましたので、

その流れとして結局注意事項は

一切守られませんでした。

 

[安全区に対する日本軍の対応]

安全区では避難民と敗残兵の安全を

守るように日本軍に要請しました。

日本軍も安全区を尊重すると

アメリカに約束した事もあって、

中支那方面軍は約束を守る指示を

出していましたが、

実際には全く守られませんでした。

 

● 国際委員会のラ-ベの要請書 

    (笠原十九司著 南京難民区の百日から)     

 中国兵の一部は安全区に逃げ込んだが、

 武装解除をして収容してあるから、

 その命を助けて欲しい

 

●中支那方面軍

   「南京城の攻略及入城に関する注意事項」(原文カナ)  

南京戦史資料集から

 別に示す要図に基づき外国権益特に

 外交機関には絶対に接近せざるは固より

 特に外交団が設定を提議し我軍に

 拒否せられたる中立地帯には

 必要の外立ち入りを禁じ所要の地点に歩哨を配置す

 

上海から南京落城の戦闘感覚の延長で

入城後間もなくから日本兵は

安全区でも略奪強姦を繰り返しました。