手帖の記録 昭和15年
「昭和15年」
3・13
曹長職を命せらる
4・17
出動 漢口に舎営
4・19
0300出発
長軒嶺(山領?)着
4・20 出発
4・21
0400花園着 露営
出発 徳安着 露営
4・22
大邦店着 露営
4・24
0850出発
4・25
0350馬鞍山西南着 露営
5・1
1900出発
夜半陣地新砦着
続いて滾山観測所に到る
5・4
攻撃開始
1230陣地変換
林家湾に到り陣地占領
2230高子披東南着(高城)露営
5・5
高城に向ひ出発
小邦家湾に於て反転し
滾山七姑店を経て段家湾に到り
露営6日0030
5・6
0800出発
途中前衛の戦闘に協力の為め中隊のみ前進
唐県鎮北方に於て唐県鎮を攻撃
5・7
出発 萬福店に到る
5・8
棗陽に到る
5・9
睡眠の間もなく
草店に到り敗残兵掃蕩
孔家店に到る
5・10
棗陽を経て斉家集に到る
5・11
大店子に到る
5・12
周家崗に於て敵と遭遇
激戦奮闘す
5・13
昨日来の戦闘を続行し敵を撃退
雙萬鎮へ入城す
5・15
BSA配属
七房崗を経て李家湾を経て李家に到る
5・16
棗陽を経て孔家店に集結
5・17
棗陽に集結(陳庄)
5・18
朱堰に陣地占領
5・19
攻撃開始追撃前進
劉家砦より攻撃を受け之を撃退前進
大河湾より反転劉家砦に到る
5・20
棗陽に到る
5・22
北楼急援出発
(本人加筆:出発直前歩兵1ケ小隊
全滅したのである
分隊長1人だけ連絡に戻る
中隊長は我が隊全滅してもは1人も出さない
それは命令とは云え生き恥をかくからである)
5・23
撤宵急行太平鎮を経て収容(死体)
棗陽に帰える
(本人加筆:1ケ小隊全滅)
5・29
草店往復突然出発
興隆集に到る
5・30
唐県鎮に到る
6・1
尚市店に到る
6・2
0300敵襲
6・3
余家炉子(滾山)に到る
6・4
林家湾に到りてより馬家舗に到る(浙河)
6・7
隋県に到る
6・8
東側に到る
6・15 出撃
6・22
浙河城内に到る
7・30
浙河出発
広水に到る
8・1
漢口に到る
8・3
王家湾残置隊着
8・23
和神丸へ乗船
8・24
出航
8・26
南京着
9・3
浦口より百合丸に乗船
9・5 1
900呉淞出発
9・9
0300門司着
9・11
似島着9・12
0900宇品上陸
9・13
1455品川着
東京第72部隊に帰隊
9・16
解除帰宅
これで南京での戦争参加の日記は
終わりとなります。