南京への渡洋空爆 1
話は少し前に戻り重複します。
南京への渡洋爆撃が
在南京の日本人たちが避難してから
数時間後日本海軍によって行われました。
1937年8月15日、
日本人たちの避難から数時間後、
日本海軍の大爆撃が始まりました。
これは当然無差別空爆ですから、
アメリカによる日本空襲と同様、国際法違反です
海軍木更津航空隊所属の、
前年に完成した世界的な新鋭機
96式陸上攻撃機20機が、長崎の大村基地から
南京まで約600キロを4時間で飛んで
渡洋爆撃をしたのです。
注:紀元2596年(1936年・昭和11年)に
完成したので末尾の96を名称にした。
有名な戦闘機の零戦は紀元2600年に
出来たので末尾からゼロ戦と言われた。
● 当時の東京朝日新聞の号外
8月15日
「海軍機長駆南京へ/空軍根拠地を爆撃す/
敵に甚大の損害を与ふ」
我海軍機は長駆南京を襲撃、
午後2時から3回にわたり
南京附近支那空軍基地に多大な損害を与えた
8月16日
「天の支那海を翔破・敵の本拠空爆」
「長駆・南京、南昌を急襲/敵空軍の主力粉砕/
勇猛無比・我が海軍機」「首都南京を震撼し/
壮絶・大空中戦を展開/空前の戦果収めて帰還」
● 高木義賢著「南京城総攻撃」1938年から
大日本雄弁会講談社「少年軍談シリ-ズ」
8月15日、支那海には723ミリという低気圧があって、
南京は大あらしの真っ最中です。
その前日、どこから知れず飛んできた
日本の飛行機の一隊が、
上海付近を暴れまわったのを知っている敵も、
よもやと思って油断していた折柄、
午前9時半ごろ、
俄かにサイレンがけたたましく響きわたって、
「飛行機の空襲あるぞ。空襲だツ!」
取りわけ驚いたのは、
まさか南京までは飛んでこまいと
たかをくくっていた市民たちで、
そのあわて方といったら例えようがない。
モグラのように防空避難壕の中に
逃げ込むより早く、
低くたれさがったあらし雲をぬって、
一機また一機、一隊また一隊と姿
を現したのは、銀色の両翼に
日の丸のマ-クを付けた無敵の
我が海の荒鷲隊だ。
海軍省では「世界航空戦史上未曾有の大空襲」と
宣伝しましたが、この空襲は国際法違反でした。
● 開戦に関する条約 1907年ハ-グで締結
日本は1912年に批准
締約国は、理由を付したる
開戦宣言の形式または
条件つき開戦宣言をふくむ
最後通牒の形式を有する
明瞭かつ事前の通告なくして、
その相互間に、戦争を開始すべからざること
● 陸戦の法規慣例に関する条約
1907年ハ-グで締結 日本は1912年に批准
防守せざる都市、村落、住宅または
建物はいかなる手段によるも、
これを攻撃または砲撃することを得ず
注:日本は世界に先駆けて
南京及びその後の重慶爆撃をし、
その後の大戦では他の国も
真似をして空襲をするようになった。
勿論アメリカによる日本の空襲も
国際法違反であることは言うまでもありません。
実は8月16日までの最初の渡洋爆撃は
海軍省の宣伝とは異なり、
中国空軍との空中戦で撃墜や被弾という
大損害を出し搭乗員63名が犠牲になりました。
それは山本五十六を始めとした幹部が、
功を焦って航空機の実力を見せることを優先し、
長距離爆撃に戦闘機の護衛をつけなかったせいもあります。
そこで8月19日から再開された南京渡洋爆撃は
夜間に3000メ-トル以上の高度からの
空襲をする事にしました。
そのため爆撃精度が悪く
誤爆が多かったため南京市民に
多くの犠牲者がでる結果になりました。
この爆撃に対して、9月29日、
アメリカ本国は南京のアメリカ大使館に
電報を打っています。
● (電報)南京の爆撃について
海軍電報
発信 ワシントン
受信 9月28日午後7時30分
南京 アメリカ大使館宛
9月25日に日本大使館の参事官が他の用件で
国務省を訪れた際、むこうから進んで、
南京爆撃のもくろみに関する
日本海軍司令長官(在上海)の通告に言及した。
その参事官がいうことには、
「日本の海軍当局は、軍事目的以外には
爆撃するつもりはない」とのことだった。
これに対して、
当方から次のようなコメントを行なった。
「我々は日本政府から、
その種の保証を何度も受け取っているが、
実際には、日本軍の爆撃作戦は南京だけではなく、
広州、漢口でも、その他の中国の都市においても、
非戦闘員を殺害する結果をもたらしていて、
そのことはアメリカおよび他の国に、
もっとも遺憾な印象をうみださざろうえないという
事実は残る」
一方、参事官は「いうまでもなく、
南京には城壁の内外に、多数の中国軍要塞や
部隊があるからである」と言った。
これに対し、「その場合でも、
南京には性格上非軍事的な区域が広大であり、
日本軍の空襲は、そうした区域の
非戦闘員を殺害している」とさらにコメントを与えた。
そしてもう一度「非戦闘員に対する爆撃の事実は、
遺憾であり、最も不幸な印象をもたらしている」と
警告を繰り返した。 ハル
8月29日には南京に駐在する
欧米5ケ国の代表が南京爆撃に対する
抗議書を日本に提出しました。
注:アメリカ、イギリス、フランス、
ドイツ、イタリアの5ケ国
● 抗議書・爆撃行為の停止要求
(南京事件アメリカ関係資料から)
8月26日夜、
南京市の地域に行われた大規模な爆撃は、
明らかに非戦闘員である外国人および中国人の
生命や財産に対する危険を無視したものであった。
それにともない、当外交代表は、
いかなる国の政治的首都、
とりわけ戦争状態にある国の
首都にたいする爆撃にたいして、
人間性と国際的礼譲についての
配慮を必要とするような抑制について、
日本側当局は適当な配慮を促すべきである。(中略)
自分たちの公務を妨害を受けることなく
遂行できる疑う余地のない権利、
通常の人間の諸権利、
およびこれらの友好関係にかんがみて、
5ケ国代表は爆撃行為の停止を要求する。
爆撃は、かかげられた軍事目標にかかわらず、
現実的には教育や財産の無差別の破壊、
および民間人の死傷、苦痛に満ちた死につながる。
注:5ケ国の内、ドイツとイタリアは、
3国同盟より前でしたが、
防共協定を結んでいた同盟国です。
アメリカとも当然ですがまだ戦争状態でありません
8月30日には、
中国のジュネ-ヴ駐在の
国際連盟代表胡世澤は事務総長に対し
日本の中国への武力侵略に関して下記の通告をした。
● 通告
1. 連盟総会の勧告書(1933年採択)に違反して、
31年から継続して侵略を拡大してきた結果である
2. パリ不戦条約違反
3. 九カ国条約に違反
注:パリ不戦条
1928年(昭和3年)、
フランスのブリアン外相の提案で成立
アメリカ、ソ連、ドイツ、日本も加盟。
後に63ケ国が参加した。
第1条
国際紛争解決の手段のための戦争を放棄
第2条
紛争又は衝突の処理又は解決を平和的手段でする
注:九ケ国条約
1922年(大正11年)ワシントン会議で
出席した9ケ国で締結
中国に関する条約
アメリカ、イギリス、オランダ、イタリア、
フランス、ベルギ-、日本、中国など
● 9月12日
中国は正式に、国際連盟規約に基いて日本の侵略を提訴した。
日本からの渡洋爆撃は当初遠方からでしたが、
以前から計画していた上海の飛行場が
完成したのを契機に上海からの
南京爆撃が始まりました。
● 9月15日
海軍第3艦隊司令官長谷川清中将は
南京空襲部隊の編成を命令し、
南京の反復攻撃を下令した。
同19日 爆撃は始まりました。
この爆撃再開では誤爆(無差別爆撃)を
許可する通達を出しています。
● 南京空襲部隊制空隊の戦闘要領に関し
希望事項 海軍第13航空隊戦闘詳報から
爆撃はかならずしも目標に直撃するを要せず、
敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主眼とするをもって、
敵の防空砲火を考慮し、
投下点を高度2千ないし3千メ-トル付近に選定し、
かつ一航過にて投下を完了するごとく努められたく・・・・
注:黄部分
爆撃は目標に
直撃しなくても良い→無差別にする
一航過にて投下→必要がなくても
爆弾は全て投下して帰る
● 9月19日、
長谷川清第3艦隊司令長官は
南京空爆作戦決行の為、
各国外交機関と居留民に「通告文」を、
南京市民に「警告文」を発表した。
◎「通告文」 9月19日付
我が海軍航空隊は、
9月21日正午以降、南京市および
付近における支那軍ならびに
作戦および軍事行動に関係ある
いっさいの施設に対し、
爆弾その他の加害手段を加えることあるべし
第3艦隊長官においては南京しおよび
付近に在住する友好国官憲および国民に対し、
自発的に適時安全地域に避難の措置を
とられんことを強調せざるを得ず、なお、
揚子江上に避難せらるるむき、
および警備艦船は下三山上流に避
泊せられんことを希望す。
◎「警告文」 9月20日付
帝国海軍航空隊は、
爾今南京市およびその付近における
支那軍その他作戦および軍事行動に関係ある
いっさいの施設に対し、
必要と認むる行動をとることあるべく、・・・・
非戦闘員は当該軍事目標に接近せざるを可とすべく、
当該各人自身の危険においても、
その起こるべき危害にともなう責任は、
我が軍においてはこれを負わざるべし。
日本のこれ等の行動は世界中
特にアメリカを刺激し抗議が起きました。
駐日イギリス大使クレ-ギ-の抗議を受けて、
堀内健介外務次官は次のように答えています。
◎日本軍機は25日以降は南京爆撃を行わない
◎中国軍の軍事施設だけを攻撃するように
現地司令長官に命令した
この情報を入手した駐日アメリカ大使のジョセフは
「日本の外務省は、日本軍はこれ以上
南京を爆撃しないと言っている」と
本国に報告しました。
これを知った海軍軍令部では
外務省の越権抗議あると猛烈に抗議をしました。
注:統帥権の独立(軍は天皇の直轄)なので、
外務省は天皇の命令に逆らえない
9月28日
13日からジュネ-ブで開かれた
第18回国際連盟総会において
「日華紛争に関する国際連盟諮問委員会」が作成した
「日本の中国都市爆撃非難決議」が全会一致で可決された。
●「日本外交年表並主要文書・外務省」から
「非難決議」
諮問委員会は、日本航空機による
支那における無防備都市の空中爆撃の問題を
緊急考慮し、
かかる爆撃の結果として多
数の子女を含む無辜の人民に
あたえられたる生命の損害にたいし
深甚なる弔意を表し、
世界を通じて恐怖と義憤との念を生じせしめたる
かかる行動にたいしては、
何らの弁明の余地なきことを宣言し、
ここに右行動を厳粛に非難す