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毒ガスはその使用頻度から考えて
陸軍が主ですが、海軍もあります。
陸軍は1929年に広島県の大久野島に
毒剤製造工場を建設しました。
それ以前、1902年から
大久野島は広島や呉の軍港を守るために
砲台や火薬庫を備えた「芸予要塞」でした。
白川義則陸軍大臣、政友会代議士望月圭介、
忠海町町長望月忠吉(望月圭介の息子)らの計らいで
誘致が決まりました。
工場の正式名は「陸軍造兵廠忠海製造所」です。
場所は鉄道の三原と竹原の中間忠海駅にある港、
忠海港から船で15分位のところにあります。
●1988年に設立された現地の資料館資料では、
5種類の毒ガスが製造されたとされています。
(別資料では7種類とも言われています)
毒ガスの製造量 6,616トン
毒ガスの種類 イペリット
ルイサイト
青酸ガス
ジフェ-ニ-ルシアンアルシン
クロロアセトフェノン
島は軍の機密保持のため1935年から
終戦まで地図から抹殺されてしまいました。
現在は国民休暇村に指定され、
何も知らない人々が保養に訪れています。
1931年には北九州小倉に
陸軍造兵廠曽根製造所が作られ、
大久野島で生産された毒ガスを
充填して砲弾・爆弾・手榴弾など
13種類の武器を製造し始めました。
海軍では神奈川県平塚の
海軍技術研究所化学研究部や
寒川の相模海軍工廠で生産をしました。
その他、朝鮮・台湾・中国・東南アジアにも
生産施設はあったようですが、
まだよく分かっていません。
軍以外では民間の化学工場(薬品・農薬)が
軍需工場として毒ガスを生産して
軍に納めていたようです。
●広島県の大久野島
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