日本は1899年には毒ガス禁止の条約に
加盟はしていたのですが、
これはあくまでも対外的なポ-ズで、
陸軍としては内々開発の意向を持っていました。
かなり早い時期からです。
1918年5月、陸軍省兵器局に22名の
臨時毒ガス調査委員会が設置され、
生産・応用・訓練の研究をスタ-トさせたのが
毒ガス戦に向かう第一歩でしょう。
1924年には欧米で毒ガスの調査をした
久村中佐が帰国しました。
●久村種樹陸軍中佐の報告 1924年欧米視察帰国後
・・・・未来の戦争にあっては、
勝利を勝ち取る秘訣の一つは科学的奇襲であり
・・・・毒ガスを製造する事は緊急の任務である・・・・