昔の中国は強大な国ですから
周辺の国々を属国にしていました。
属国と言っても直接支配するわけではなく、
配下の国として自治を認めていました。
朝鮮・沖縄・ベトナム・・・
他周辺のアジアの国を従えていましたが、
その体制を冊封体制と言います。
支配する国を冊封国(君主)、
支配される側を朝貢国又は貢献国(臣下)といいます。
注:冊封を受ける国と言うことで
支配される側を冊封国と言う言い方もあります
数年から数十年に一度冊封使が
貢献国を訪れ色々な文化を伝えていました。
中国と琉球がまさにその関係です。
冊封使が琉球を訪れる時、
航海の目印にしていたのが尖閣諸島です。
ですから冊封外交が始まる前の航海日誌はありません。
琉球冊封使は1372年から琉球に来始めたといわれます。
まずは中国側のつまり冊封使の航海日誌から見てみます。
先にお断りしておきますが、
これ以降の資料はカタカナが主で読みづらいので
現代文に書き直します。
なるべく正確にするように心掛けます。