日本各地135ケ所での死亡率をみても
かなりの重労働が行なわれたことは想像できます。
真冬でも衣類はないし、寝具もない、
食事もないような掘っ立て小屋で
重労働を強いられたのです。
怪我や病気をしても放置したまま治療もしない。
重労働と虐待、リンチ・・・・その中で
多くの中国人労働者が死んでいきました。
食事がないため、
死んだ同僚の人肉を食べていた報告もあります。
そのため各地で生存をかけて反乱や暴動が起きています。
有名なのは秋田県の花岡作業所です。
●鹿島組 秋田 花岡作業所の暴動
重労働と虐待に耐えかねた(41%以上の死亡率)労働者は、
1945年7月1日に反乱を起こし、
約800人が逃げ出しました。
約1週間で全員が逮捕され、
更なる虐待暴行をうけました。
9月になるとこの事件は
進駐軍(アメリカ軍)の知るところとなり、
日本の責任者が逮捕され、中国人は釈放されました。
1948年の横浜BC級裁判では、
国や企業の責任者は責任を免れ、
鹿島組職員や警察官等現場の責任者のみ
重罪判決を受けました。
まさにトカゲのしっぽ切りです。
この事件は有名ですし本も沢山出ていますので、
あまり詳しくは書きません。
●1995年6月28日、
生存者と遺族11名が鹿島建設を相手に
損害賠償裁判を起こしました。
裁判での請求は
1.遺族並びに生存者に対する謝罪
2.秋田県大館市と北京市に記念館を建立する
3.遺族並びに生存者に各550万円の賠償金を支払う
それに対しての鹿島建設の反論
1.日中共同声明で解決済み、
その為中国の国内問題である
2.その為法律問題ではないので、
裁判で解決する問題ではない
3.日中友好条約から3年過ぎて時効、
また20年の除斥期間を過ぎているので
権利は法律的にも消滅している
1997年12月10日、東京地裁は、
ほぼ鹿島建設の主張にそって、
請求を却下する判決を下しました。
中国人本人たちの訊問さえない門前払いの判決でした。
注:1999年時点での話しなので、
その後変わっているかもしれません。