前項でみたように日本の軍隊は国体
すなわち天皇を守るために存在したのですから、
当然沖縄守備軍第32軍もその延長です。
サイパンやテニヤンを絶対防衛線と考えていた大本営は、
その防衛線に出撃する為の基地作りを急ぎました。
その為に沖縄に17ケ所もの飛行場が建設されました。
しかしながら飛行機が不足していて
飛行場を使わないうちに絶対防衛線が破られてしまいました。
サイパン島が玉砕したのです。
そうすると沖縄どころではなく
日本本土が直接攻撃される恐れがあります。
大本営は本土決戦を覚悟し、
その準備の時間をかせぐ為に沖縄に持久戦を指示したのです。
攻撃の戦争から守りの戦争に方針を変えたのです。
硫黄島と沖縄はアメリカ軍の攻撃にさらされて
耐えるだけが使命となりました。
本土上陸を遅らせ準備を早め、
出来るだけ敵を消耗させる。
そしてその後は戦争終結に向けて
いかに国体護持(天皇制を守る)をするか、
その為の出血持久と捨石作戦でした。
沖縄決戦の時点では海も空もアメリカ軍に
制圧されていましたから本土からの補給はありませんでした。
「現地持久」「一木一草戦力化すべし」の方針のもとに子
どもから老人まで臨時戦力にかり集めました。
近代兵器のアメリカ軍に対して
竹やりで前面に立たせたのです。
●第32軍高級参謀 八原博道大佐の手記
第32軍は本土決戦を有利ならしむる如く行動すべきである。
すなわち戦略的には持久戦である。
・・・・沖縄につとめて多くの敵を牽制抑留し、
かつ、つとめて多くの出血を敵に強要し、
しかも本土攻略の最も重要なる足場となる
沖縄島をつとめて長く敵手に委せないことであった。
●牛嶋満第32軍司令官の訓示 1944年8月31日 原文カナ
極力資材の節用増産貯蓄に努むると共に
創意工夫を加えて現地物資を活用し
一木一草といえども之を戦力化すべし
●報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱 1944年11月18日 原文カナ
真に60万県民の総決起を促し、
もって総力戦体制への移行を急速に推進し、
軍官民共生共死の一体化を具現化し、
いかなる難局に遭遇するも、
毅然として必勝道邁進するに至らしむ
●長勇第32軍参謀長の談話 1945年1月27日 沖縄新報
・・・・戦場に不要の人間が居てはいかぬ。
まず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ
安全な所へ移り住め・・・・
稼動能力のある者は「俺も真の戦兵なり」として
自主的に国民義勇軍などを組織し、
この際個人の権利とか利害を超越して
神州護持のため兵隊と同様全てを捧げることだ。
注:軍の目的のために総動員し、
犠牲を強制し、疎開名目で弱者を排除したのです。
●学童疎開の目的 「沖縄教師の祈りとどけ」兼城賢松 から
軍が学童を疎開させろ、
と言い出したのは次のような理由からであった。
1 学童を戦場から退去させて作戦を容易ならしめる
1 孤島沖縄の持久戦のために、食糧の消費を少なくする
1 徹底抗戦のための人的資源を確保しておく