侵略戦争をしていた日本は
殖民地を持っていたわけですから、
当然のことながら多くの日本人が
占領地や植民地に住んでいました。
在外民間邦人は全部で約3,330,000人と言われています。
一番多くいたのは旧満州国の中国北部です。
旧満州や北方領土からの
引き揚げ時の苦労が戦後多く語られています。
日本政府は日本本土が焼け野原となり
食料も不足していたことから、
在外邦人はなるべく現地に
とどまってほしいと思っていました。
●昭和20年8月31日、終戦処理会議決定
在外邦人ハ・・・・出来得ル限リ
現地ニ於テ共存親和ノ実ヲ挙グベク
忍苦努力スルヲ第一義タラシムル
しかし米軍としては早期にすべての日本人を
早期送還する方針でいました。
●終戦時海外にどのくらいの住んでいた日本人の覧です。
南方は含まれていません。
地区 | 人数 |
樺太・千島 | 約38万人 |
旧満州 | 約155万人 |
北朝鮮 | 約27~28万人 |
南朝鮮 | 約43~44万人 |
中国本土 | 約50万人 |
台湾 | 約35万人 |
朝鮮半島は北と南に分かれています。
これは8月21日に内務省が
「朝鮮半島の日本軍部武装解除後、
38度線以北をソ連軍、以南を米軍が担当する」と
朝鮮総督府に打電したことによります。
これはまもなくソ連軍が38度線まで
占領することが分かっていたからですが、
朝鮮戦争から現在に至るまで北と南を分けている
38度線が出来たのきっかけは日本かも知れません。