明治維新で日本は新しい国家に生まれ変わりました。
当時の世界は武力で領土や植民地を増やす
いわゆる西欧の近代国家と、
非近代国家の争いでした。
アジアでは当然のことですが
中国・朝鮮・沖縄・北海道・日本などはまだ非近代国家でした。
明治政府はその中で
西欧諸国からの侵略を防ぐ事が最重要課題でした。
「脱亜入欧」「富国強兵」そして「近代憲法の制定」・・・・
これらで何とか西欧諸国の仲間入りをして
身の安全を手に入れたのです。
西欧諸国への調査団の派遣で
近代文明の取り込み、
ヨーロッパ式の軍隊制度も取り入れました。
そして一応近代国家の仲間入りを果たした日本は、
西欧諸国の例に見習い
非近代国家である周辺諸国への侵略を始めたのです。
北海道の日本への取り込み、
琉球を中国から引き離し日本へ取り込み、
日清戦争、台湾や朝鮮の植民地化です。
明治時代はこのように近代国家として領土を拡張し、
近代国家同士で認め合った
国際慣習法に従って領土拡張の宣言をしていたのです。
勿論非近代国家の意見は無視されてきました。
それらの時代に起こったことが尖閣諸島や竹島の問題です。
明治政府が尖閣諸島をどのようにして
日本領土にしていったのでしょうか?
当時の明治政府の外交資料が外務省に保存されています。
その資料も含めて明治時代の尖閣の経緯を説明したいと思います。
同じように言葉が難解なので現代文に書き直します。