組織は本来秘密でしたから正確には分かりません。
年代によっても変更があり
人員の移動も激しかったと思われます。
色々な資料を混ぜて製作しましたので
その辺考慮して参考にしてください。
解説ですが、別にして分かりづらいものは、
少し長くなりますが一覧の中その都度に入れす。
実際の731関係の資料では「課」は
「科」になっていますが現代風に課にします。
部隊長 石井四郎 軍医中佐
(1936年8月1日~1942年8月1日)京都大学
北野政次 軍医少将
(1942年8月1日~1945年3月1日)東京大学
石井四郎 再任 軍医中将(1945年3月1日~終戦)
総務部 川島清、村上隆、今津綱幹、
中留金蔵軍医中佐、大田澄大佐
副官室 景山杏祐、青木広市
調査課 石光薫技師 川上技師
翻訳班 秦正氏(軍医中尉・千葉医科大学出身)
印刷班 小館美実
写真班 小館兼務 土屋技師
兵要地誌班
調査班 臼井竹次郎
図書室 新井?? 田村清
人事課 本部および支部の軍人、
軍属の人事、審査などの業務を担当
山下健次衛生少佐 工藤(嘱託)
庶務課 本部各部課、各機関の連絡の統括を担当。
所属部隊に指示、部署当を伝達する
高橋伝、篠原岩助衛生大尉、鈴木穐男
労務班(労工) 工藤与四郎
庶務室 飯田衛生大尉
食堂
酒保
学校
郵便局
小学校
自動車班
警備班
企画課 関東軍の作戦の必要にもとづき、
細菌戦、毒ガス戦、防疫、給水などの計画を作成
田部邦之助中佐(軍医学校卒)、
二木秀雄技師
経理課 経費の予算、配分、決算を担当。
物資調達、賃金、物資供与などの業務
伊地治俊雄、佐藤??、堀田良一郎
管理課 中村留八
建設班 永松喬 在田勉(技師)
工務班 小山博
動力班 在田勉
運輸班 増田??
電話班
軍需課 鈴木??
第1部 基礎研究
部長 田部井和(技師・京都大学卒)
北川正隆、
菊池斉軍医少将(東京大学医学部卒ペストに関する研究者)
川島清(軍医大佐)
注:この第1部は世界でも一級の
研究設備を持っていると言われた。
設備は細菌培養基製造用1トン容器-4缶
培養基滅菌用自閉缶14個
(自閉缶には石井式細菌培養缶が各30個収容)
大型冷蔵庫1度に100個の培養器を収納できる。
石井式培養缶は一度に30キログラムの細菌
(数にして3京と言われる)を製造
第1課 チフス
田部班 チフス研究
田部井和(技師・京都大学出身)
古都ヨシオ
第2課 コレラ
湊班 コレラ研究 秦正男、
瀬戸川??(軍医少佐)
第3課 生理・捕虜管理・凍傷研究・栄養失調の研究
吉村寿人(京都大学出身、戦後 京都府立医科大学学長)
吉田班 健康診断 吉田源二
宮川班 レントゲン 宮川正
栗秋班 薬理 栗秋要
在田班 レントゲン 在田勉
薬味班 薬理 草味正夫
石井班 捕虜出入 石井利夫
蓬田班 捕虜出入 蓬田三平
志村班
特別班 特設監獄 石川剛男
第4課 赤痢
江島班
赤痢研究 江島真平(技師)
藤井(軍医少佐)
第5課 ペスト
高橋班 ペスト研究 高橋正彦
鎌田信雄
第6課 病理
石川班 病理研究
石川太刀雄丸
京都大学出身、戦後金沢大学医学部部長
岡本班 病理研究 岡本耕造 京都大学
(第7課) 病理
第8課 リケッチア・ウイルス
野口班 リケッチア・ノミ 野口圭一
笠原四郎技師(北里研究所から、濾過性病原体に関する研究者)
作山元治軍医少佐(慶応大学医学部卒)
第9課 水棲昆虫
田中班 昆虫研究 田中秀雄
朝比奈正二郎
第10課 血清 秋元寿恵美
内海班 血清 内海薫
小滝班 ツベルクリン 小滝
第11課 結核・性病 二木秀雄(技師)
肥之藤班 脾脱疽 肥之藤信三(脾脱疽の研究者)
樋渡班 樋渡喜一
降旗班 ペスト 降旗武民(軍医少佐)
金沢班 金沢謙一
大田班 脾脱疽(炭疽菌) 大田澄
貴宝院班 天然痘 貴宝院秋雄(技師)
二木班 結核 二木秀雄
第2部 実施研究
部長 早川工敏
大田澄大佐
村上隆
碇常重軍医大佐
第1課
航空班 平沢正欣
庶務
操縦班
第2課 増田美保
技術班 松尾光
無線班 山田二郎
気象班 山田兼務
運輸班
田中班(第3課?) 昆虫
田中英雄 技術中佐(理学士、蚤の研究者)
注:戦後 大阪市立医科大学長
私立兵庫医科大学で教鞭
約70人以上の人体実験
ネズミの習性に関する研究
ネズミを使ってのノミ繁殖研究
(班員)
田中淳雄軍医大尉(京都大学出身)
阿部徳光薬剤大尉
松田兵技中尉
米沢衛生中尉
浜崎曹長小山曹長
中井軍曹
渡辺伍長
篠田班(第4課?) 昆虫(ハエとカの研究)
篠田統(技師)
八木沢班 植物菌
八木沢行正(技師)
第5課 安達実験場
西田重衛
第3部 防疫給水
部長 今瀬一夫
江口豊潔(濾水機の研究者)
増田知貞薬剤少佐
注:正規の病院運営と給水が仕事だったが、
1944年からは細菌爆弾の製造をするようになった
庶務課 中田秋市
第1課 検索 佐藤??
第2課 毒物検知 河島三徳(薬剤少佐)
第3課 濾水機、弾筒製造窯
濾水班
給水班
運輸班 越定男
焼成班 鈴木重夫
瀬越ケンイチ
(ハバロフスクの証言では材料部第4課と証言)
工作班 濾水機 小原定夫
濾水機・弾筒製造窯
第4部 細菌製造
部長 川島清軍医少将
注:1949年のハバロフスク裁判の
川島清少将の証言によれば
「・・・・第4部にあった生産能力
及び全設備を最大限に利用すれば、
この部が1ケ月にペスト菌300キログラム、
或いはチフス菌800-900キログラム、
炭素病菌500-700キログラム、
コレラ菌1トン製造できたのである・・・・
大田澄
大谷薬剤少将
第1課 培養生産
鈴木啓之(軍医中佐)
柄沢十三夫(軍医少佐・東京医専出身)
軍属 尾関シゲオ
培地班 班長 早川清
大量生産隊 小林隊(小林孝吉?)
技手 今野信次
篠塚良雄
第2課 ペスト、脾脱疽
野口圭一
第3課 乾燥菌、ワクチン
三谷恒夫軍医大尉
大西芳雄技師大尉
江田武一曹長
第4課 ワクチン
小滝秀雄
有田班 発疹チフスワクチン
有田正義 少佐
植村班 ガス壊疽、脾脱疽
植村肇 大尉
不明 朝比奈班 ワクチン製造 朝比奈正二郎
教育部
部長
園田太郎(軍医中佐)
西俊英(軍医中佐、孫呉支部長兼任)
永山太郎(軍医中佐)
部員
篠原鶴男
千田英男
大竹康二
溝渕俊美伍長
注:1945年現在600名
主として衛生兵としての訓練が9ケ月行なわれた。
最初の3ケ月、個人教練、分隊教練、
中隊教練等一般的な戦闘行動の基礎教育。
6ケ月は衛生部門に関する教育。
その後731部隊の各部門に配属された
庶務課 佐藤実
教育課 山下建次
衛生兵
炊事班
診療所
錬成隊
少年隊 少年隊員を訓練し各所で作業をさせた
隊長 田部邦之助軍医少佐
佐々木重吉(衛生少尉)
隊員 阿部徳光
斉藤和勝
藪本勇
小笠原明
篠塚良雄
鎌田信雄
鶴田兼敏
資材部
部長 大谷章一(薬剤少将)
柴野金吾
庶務課 萩原博治
第1課(薬品合成) 草味正夫
山口班(細菌弾) 山口一孝
堀口班(ガラス) 堀口鉄夫
第2課(購買補給) 浜武正喜
第3課(濾水機) 鈴木??
第4課(倉庫) 萩村兼務
第5課(兵器保管) 目黒??
第6課(動物飼育) 石井三男
診療部
部長 永山太郎軍医大佐(流行性出血熱の研究者)
注:診療部といわれていますが、
他の部と協力して生体実験をしています。
他の部隊員の証言では
診療部から来る時は
看護婦が同行していたことで分かったそうです。
看護婦 赤間まさ子
ハルピン伝染病棟
平房診療室
家族診療所
薬剤部
薬理研究室
現地資源利用に関するさまざまな薬理研究を担当
衛生材料補給課
機械、薬品、消耗品の生産および
修理、備蓄、供給などの 業務を担当
憲兵室 乙津一彦
田坂千晴(憲兵曹長田坂具隆と同一か?)
酒井??
保機隊
731部隊の実際の関係書類では
色々な氏名が出てきます。
しかし所属が「科」のみで「部」が書いてありません。
そこで氏名だけを書いてみます。
●論文「きい弾射撃に因る皮膚障害並一般臨床的症状観察」
池田苗夫 軍医少佐
注:加茂部隊、池田苗夫となっています。
加茂部隊は731部隊の事です。
●論文「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋(クロナキシ-)に就いて
池田苗夫 軍医少佐
荒木三郎 陸軍技師
注:恐らく診療部の所属と思われます。
●第5回石井部隊研究会記事 昭和15年4月24日
第1科 佐藤大雄 陸軍軍医少佐
村田良介 陸軍軍医中尉
村上醇 陸軍軍医中尉
村上仁男 陸軍軍医少尉
山中太木 陸軍技師
第2科 柴田進 陸軍軍医少尉
笠木甲一 陸軍軍医少尉
岡田子 陸軍軍医少尉
第3科 小川透 陸軍軍医少尉
児子廉夫 陸軍軍医少尉
樋口正人 陸軍軍医少尉
第4科 星野隆一 陸軍技師
工藤益夫 陸軍薬剤中尉
●研究報告「満州に於ける流行性出血熱の発生並に分布(其の三)」
所属不明 陸軍技手 楠本健二
●本部の平面図です。