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中国だけではなく日本国内にも
敗戦時にかなりの量の毒ガスと毒ガス弾の
在庫がありました。
生産地の大久野島では
英連邦軍(オ-ストラリア軍)によって
3200トン以上が確認されました。
日本の他の地区にも少しづつあったようです。
日本政府は証拠を隠すために
早く処分しなければなりませんでしたが
間に合わずに発見されてしまったのです。
そして東京裁判で取り上げられないよう
秘密裡に処理する事に、
米国も英国も協力したものと思われます。
海軍の状況を米軍資料から見ます。
生産量と弾薬量の2つです。
●日本軍の化学戦に関する情報報告 第3巻
日本軍による化学戦資材の生産
アメリカ極東陸軍総司令部主任化学将校室
1946年3月1日
場所
種類
数量
処置
横須賀軍需部
60キロイペリット爆弾
3000発
嘔吐性・催涙性砲弾用型薬缶
30000発
直前廃棄
舞鶴軍需部
嘔吐性ガス筒
1200発
催涙手投げ弾(小)
5050発
催涙手投げ弾(大)
6200発
第1海軍航空廠(厚木)
8850発
第1海軍航空廠(瀬谷)
5680
第11海軍航空廠
(八木松・切串・川上)
11344発
第12海軍航空廠(大分)
2351発
第21海軍航空廠(佐世保)
5000発
第21海軍航空廠(博多)
67発
第21海軍航空廠(福岡)
7発
第31海軍航空廠(舞鶴)
第41海軍航空廠(千歳・美幌)
217発
第41海軍航空廠(大湊)
2000発
合計
27666発
15850発
催涙手投げ弾
11250発
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