このレポ-トは2000年1~3月に書いたものに
若干加筆訂正しました。
1945年8月15日、日本は戦争に負けました。
沖縄も日本の一部ですから敗戦に日は8月15日となるのですが、
実は沖縄の場合は6月23日が敗戦日となっています。
4月1日に「嘉手納」のあたりから上陸した
アメリカ軍中心の連合軍は、
5月には南部を除いてほぼ全島を制圧しました。
そして連合軍の下に人々の暮らしは元に戻り、
農作業や学校等も不完全ながら再開を始めました。
各地に散らばっていた日本軍兵士は逃げ回り
「徹底抗戦」を口実に山や島や洞窟にこもっていました。
昼間はアメリカの統治下で、
夜になると日本の敗残兵の面倒をみたり支配されたりで、
住民はかなりの苦労を強いられました。
そして6月に入ってアメリカ軍は
沖縄南部に対する攻撃を強化しました。
6月19日、日本軍の組織的抵抗は終了し、
23日に沖縄守備軍第32軍司令官牛嶋中将と
長参謀長の自害で軍は崩壊しました。
そのために6月23日が終戦と言われているのです。
その後統制をなくした日本軍兵士は半ば野盗化し、
住民を巻き添えにして逃げ回り、
8月15日を過ぎ10月を過ぎてから投降する者もいました。
アメリカ軍と日本軍の板ばさみになった住民の多くが
悲劇的な忌まわしい事件に会っています。
中国侵略で南京事件、三光作戦、従軍慰安婦問題、
細菌部隊、毒ガス戦・・・・
数々の非人道的行為をした日本軍は
自国の領土で自国民(沖縄人)に対して
どの様に振舞ったか関心のあるところです。
沖縄戦では世界にも類のない特徴として
軍隊による自国民への虐殺や虐待がありました。
また美化されて語られることの多い「集団自決」は、
軍による強制がかなりあったこと、
つまり自殺ではなかったということも大きな特徴です。
よく言われる「米兵よりも日本兵の方が怖かった」
「軍隊は住民を守らなかった」ということはどういうことだったのか?
そして、日本軍とアメリカ軍兵士の死亡者合計よりも
住民の死亡者の方が多かった事も特徴です。