1941年に始まるこの計画は
作戦主任の島貫武治中佐が立案したものです。
その骨子はまず北支那方面軍の担当地区を
治安地区 准治安地区 未治安地区の3地区に分けて、
3年かけて治安地区を増やしていこうとするものです。
そしてその為に徹底した粛清作戦をしたのです。
●治安地区
治安が確立し対日協力政権のみでも警備可能な地区
●准治安地区
治安は一応は安定しているが、
ゲリラが活動するため日本軍が常駐している地区
●未治安地区
共産軍支配が強い解放区
●地区の目標
| 治安地区 | 准治安地区 | 未治安地区 |
1941年7月現在 | 10% | 60% | 30% |
1941年度(第1年度)目標 | 20% | 50% | 30% |
1942年度(第2年度)目標 | 40% | 40% | 20% |
1943年度(第3年度)目標 | 70% | 20% | 10% |
わずか2年半あまりで、10%しかない治安地区を
70%にしようとするのですから
相当強引な作戦が行なわれました。