敗戦の後慰安婦たちがどの様に扱われたのか・・・・
色々なケ-スがあります。
1. 指揮系統がしっかり保たれていた部隊では、
兵隊たちと一緒に連合軍の捕虜収容所に入れられ、
半年か1年位でそれぞれの国へ帰国しました。
日本人、朝鮮人、台湾人の一部です。
しかし女性として恥ずべき人生を送ったとして
(自らの意志ではなく日本軍に強制されたのですが)、
国へ帰らず現地や日本に残った人も沢山います。
注:連合軍が慰安婦の名簿を作成しましたが、
朝鮮人の場合は「創氏改名」があったため、
なかなか正確には把握出 来ませんでした。
タイでは1,500人が帰国させられたとの
記録があります。
2. 日本軍が全滅した地域では一緒に死亡しています。
特に東南アジアで多かったようです。
● ビルマの騰越では、約3,000人の日本軍が
全滅したと言われていますが、
市街地に積み上げられた死体の中に、
朝鮮人慰安 婦10数名と産んだと思われる
子どもの死体がありました。
東南アジアでは日本軍に殺されたり(処分と言う名目)、
自殺を強制されたケ-スもあります。
● 西口克己「廓」から
1944年2月20日、南太平洋トラック島では、
米軍の大空襲後に慰安婦を国家の恥と考え、
日本の兵隊が避難していた防空壕の前で
60~70人の慰安婦を機関銃で殺害した。
注:戦争中は散々利用しておいて
戦争が終わったら「国家の恥」とは
身勝手な考えです。
3. 中国や東南アジアでは
日本軍が脱出した後
戦場に置き去りにされたケ-スがあります。
● 韓国・中央新聞 1946年7月18日
上海にいた朝鮮人有志で設立された
「韓国婦女共済会」の手で、
1945年11月から12月までに、
朝鮮人慰安婦1,210人が帰国した。
● ソウル新聞 1946年5月12日
大部分が悪質な花柳病や皮膚病に
かかっていて、見るも悲惨な状態だった。
● 韓国挺身隊研究所の調査
2000年6月現在、
56人の元朝鮮人慰安婦が
海外残留を余儀なくされています。
居住の地区は中国に50人、
日本に2人、カンボジアに1人、
ロシアに1人、台湾に1人です。
注:これらの女性たちに対しては、
韓国政府も地元政府も、
勿論日本政府もこれといった
対策を行なっていません。
(2005年現在)
このように敗戦時、慰安婦
特に中国、朝鮮、アジアの女性たちに対し、
日本は国としての後始末を
きちんとしていないのが実態です。
沖縄の場合を見てみると、
現在のところ沖縄の慰安所の41ケ所に
朝鮮人女性がいたことが
確認されていますが、人数は不明です。
しかしアメリカ軍の資料によれば
「日本軍に置き去りにされた
150名の朝鮮人女性慰安婦を
沖縄の各地から収容した。
朝鮮へ船で送還する考えである」と、ありますので、
最低でも敗戦時には150名いた事になります。
(アメリカ軍資料1945年11月23日報告、
スタンフォード大学フ-バ-研究所所蔵)