さてマッカサ-が指示した3原則です。
●マッカ-サ-3原則
1.天皇は国家の元首であること
天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。
天皇の職務および機能は、憲法に基づき行使され、
憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
2.戦争を放棄すること
国権の発動たる戦争は、廃止する。
日本は、紛争解決のための手段としての戦争、
さらに自己の安全を保持するための
手段としての戦争をも、放棄する。
日本はその防衛と保護を、
今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
日本が陸海空軍を持つ機能は、
将来も与えられることはなく、
交戦権が日本軍に与えられることもない。
3. 封建制度を廃止すること。
日本の封建制度は廃止される。
貴族の権利は、皇族を除き、
現在生存する者一代以上には及ばない。
華族の地位は、
今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。
予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。
●1946年2月8日、松本委員会がGHQに憲法改正要綱を提出。
GHQは拒否。
● 同 2月13日、
GHQが戦争放棄条項などを盛り込んだ改正案を日本側に提示
東京麻布の外相公邸でGHQのホイットニ-民生局長は、
松本と吉田茂外相に9日間で起草したGHQ草案を手渡し、
日本政府案は受け入れられないと明言
「最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという
他国の圧力から天皇を守ろうと決意している。
この諸規定が受け入れられるなら,
実際問題として天皇は安泰となる」と語った。
● 同 2月18日、
松本は再度GHQに「憲法改正案説明補充」を提出したが拒否される
● 同 2月21日、
マッカ-サ-は幣原喜重郎首相と会談
「私は天皇を安泰にしたいが、
極東委員会の議論は不愉快なものだと聞いている・・・
ソ連とオ-ストラリアは日本の復讐を恐れている」と語った。
● 同 2月22日、
閣議でGHQ案を受け入れ方針を決め、幣原らが昭和天皇に報告した。
● 同 2月25日、
GHQ草案の全部の仮訳が閣僚に配布された。
● 同 2月26日、
日本政府は閣議でGHQ案に沿って憲法改正草案を作ることに決定した。
かろうじて極東委員会の開催に間に合う。
マッカ-サ-の天皇制を守るという計画は成功した。
● 同 2月26日、
極東委員会の第一回総会がワシントンで開かれた。
● 同 2月26日、
国語の平易化を目指す「国民の国語運動」の
代表者6人が首相官邸を訪れ、
入江俊郎法制局長官に幣原喜重郎首相宛ての建議書を手渡した。
憲法の口語化の要望だった。
入江は作家山本有三に極秘に依頼した。
● 同 3月4日、
GHQ案にそった政府の改正案がGHQに提出された。
GHQはすぐに英訳し、日本政府と協力し審議をおこなった。
● 同 3月5日、
松本は民生局と徹夜で確定案を完成し、天皇に上奏した。
● 同 3月6日、
政府が憲法改正草案要項を発表。マッカ-サ-は承認した。
● 同 4月3日、
極東委員会が昭和天皇の不起訴方針を決定。
● 同 4月17日、
政府は憲法改正確定案を発表、細かい修正に入った。
● 同 5月3日、
極東軍事裁判開廷。
● 同 5月13日、
極東委員会が「新憲法採択の諸原則」を決定。
● 同 6月20日、
天皇の諮問機関・枢密院を経て完成した
「帝国憲法改正案」が 第90回帝国議会に提出され、
活発な議論が始まった。
改正案は「帝国憲法改正案」という形で
明治憲法第73条の改正手続きにより、
勅書をもって議会に提出された。
● 同 6月21日、
マッカ-サ-は帝国議会での憲法審議について声明を発表し、
極東委員会の意向を確認した。
(要旨)国民の自由意志による民主的な選挙を経て成立した
現在の改正案は 充分に民意を代表しており、
憲法問題について国民の意思を表明する資格を有する。
● 同 7月13日、
帝国議会の審議がGHQの意向からずれないように極東委員会では基本原則を発表。
次回に極東委員会の基本原則を書きます。