1995年9月、毒ガス弾と見られる
砲弾状の物体が屈斜路湖の湖底に
沈められているのが、潜水調査で発見され、
自衛隊による調査の結果、
致死性で糜爛性の猛毒ガスである
「イペリット」と「ルイサイト」であることが判明しました。
1996年10月18日、腐食が進み壊れかかった
26発の砲弾が無事回収されました。
回収された26発はとりあえず
山林に埋められましたが、
最終的にどう処理するかは未定です。
(1997年現在)
1996年8月に広島県竹原市で開かれた、
毒ガス展実行委員会公開シンポジウム
「悪魔の兵器の廃絶をめざして」の資料から要約します。
● 村田歩・森亮一 報告 731部隊展・帯広実行委員会メンバ-
「経緯」
1945年8月22・23日、
弟子屈に住む合田末広さんのところへ、
計根別飛行場に勤務していた青木軍曹が
「国際法に触れるガス弾を隠して欲しい」と依頼した。
相談の結果屈斜路湖に遺棄することになった。
オウムのサリン事件で昔のことを思い出し
合田氏は北海道に報告した。
北海道新聞記者の池田哲哉氏が
青木元軍曹に会い証言を得た。
1995年9月、毒ガス弾とみられる物体が、
屈斜路湖の湖底に沈められていることを確認
自衛隊関係者が糜爛性ガスが詰められていると証言
「引揚」
1996年10月7日~14日
水中処理班のダイバ-による手作業で
1 物体の強度確認
2 水中で密閉容器に物体を詰める
10月15日~18日 引き上げ作業開始
26個の内4個回収
屈斜路湖を源とする釧路川の水は、
釧路市、標茶町、弟子屈の水源になるので、
作業期間中は、河口付近の水質検査(砒素など)を実施する。
10月18日、残りを全て回収
引き揚げ後の物体は、アルミ製の密封容器に収納後、
人の入らない山林の5m地下のコンクリ-ト質へ保管。
「内容」
10月15日に回収した4個を糜爛性毒ガス砲弾と断定
イペリットとルイサイトの混合液と見られる
直径18センチ、長さ105センチ、重量35kg、
尾に4枚の羽形状から航空機から投下する爆弾と判明
その他も水が入っているが、微量のイペリットが検出されている。
その騒ぎのおかげで新たな証言者が現れ、
網走沖にも投下した事が分かりました。
屈斜路湖の26発の毒ガス弾を引上げて埋めるのに、
1億2千万円もの費用がかかったそうです。
中国に置いてきた毒ガス弾の処理を考えると、
気の遠くなるような金額が予想されます。
屈斜路湖の場所と発見された毒ガス弾の図です。
又これとは別に
曽根の充填工場の数万発の毒ガス弾は
山口県沖周防灘周辺に海中投棄した報告もあります。
(福岡県曽根の充填工場の元行員の証言 1993年共同通信)
その他、陸奥湾、銚子沖、相模沖、遠州灘、
大久野島周辺等に投棄された事が明らかになっています。
これからそれ以外の場所も徐々に明らかになるかもしれません。