敗戦後、日本は事実上アメリカの単独占領の状態にありましたが、
1945年12月にモスクワで開かれた米・英・ソ外相会議の結果、
日本占領管理機構として極東委員会がワシントンに設置されました。
委員会は途中から2ケ国加わり13ケ国となりました。
◎メンバ-
米国・英国・中国・ソ連・フランス・インド・
オランダ・カナダ・オ-ストラリア・ニュ-ジ-ランド・
フィリピン・1949年からビルマ・パキスタン
この極東委員会は日本占領管理に関する
連合国の最高政策決定機関となり、
GHQマッカ-サ-もその決定に従うことになりました。
ワシントンに本部を置いた極東委員会は
出先機関として東京に対日理事会を設置しました。
対日理事会は米・英連邦・ソ・中の4ケ国で構成され
GHQに助言をしました。
極東委員会は米・英・中・ソに拒否権がありましたが、
緊急の場合アメリカ政府が決定することとしました。
但し日本の憲政機構、管理制度の根本的変更及び日本政府全体の
変更については必ず委員会の決定を必要としました。
そのためGHQとしては、1946年2月26日にワシントンで開かれる
極東委員会第一回総会で反対意見が出る前に
天皇を守る憲法を作りたかったのです。
極東委員会、対日理事会は、
1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効で消滅しました。