日露戦争後の1905年、
日本は中国の遼東半島先端部を租借して関東州を作りました。
関東州で、日本は当初阿片の輸入・製造・販売について
個人許可制をとっていましたが、
1915年以降は大連宏済善堂という公益団体に
許可を与えて輸入販売を行なわせました。
●大連宏済善堂 1926年の「関東庁施政20年」によれば
支那人に対する唯一の救済機関にして
施療、育嬰、施棺、義葬、養老、救困の事業をおこなふを以て目的とし、
明治41年4月大連宏済彩票局総弁、劉兆億、協弁、郭学純等に依り
計画せられ関東都督の認可を得て設立したる公益法人・・・・
しかしこれは隠れ蓑で実際は、
政府や軍がバックにいて組織した
阿片販売の商社であることは間違いないでしょう。
上海ではそうであった証言があります。
(上海宏済善堂に関する証言 里見甫 東京裁判)
1924年には関東州阿片令が制定され、
台湾のような阿片漸禁政策がとられ、
さらに1928年には関東庁専売局が大連に設置され、
阿片の輸入・販売を国が独占するようになるのです。
関東州は大消費国中国と接し、交通が頻繁な要所であるため、
政策のル-ズさと相まって
大連は日本の麻薬密輸の中心地となっていきました。