沖縄戦の戦死者(戦闘だけではない)数には
色々な統計があり、正確な数はまだ分かっていません。
一応沖縄県の援護課がまとめた推定数を書きます。
軍人 本土出身の軍人 65,908人
アメリカ軍人 12,520人
小計 78,428人
沖縄出身の軍人軍属 28,228人
住民・戦闘参加者 55,246人
一般住民 38,754人
小計 122,228人
総合計 200,656人
この集計の解説をします。
●「沖縄出身の軍人軍属」の28,228人を
軍人とするか住民とするかで内容は変わります。
実はここにはひめゆり部隊のような
学徒隊、防衛隊、男女義勇隊が含まれるのです。
ですから実際は住民が多いと考えてわざと分けました。
●厚生省の調査では、
統計の内14歳未満の戦没者が11,483人になっています。
(太田昌秀・総史沖縄戦)
内訳は 壕提供 10,101人
食料提供 76人
自決 313人
友軍よりの射殺 14人
その他
子どもが戦争協力をする筈がなく、
14歳未満が死んだ理由として
「壕提供」とは軍人により避難壕から追い出されたことです。
また「食料提供」とは軍人による食力強奪であり、
自決とは強制自決のことでしょう。
●住民の戦闘参加者とは、
厚生省の援護法を受けた住民のことを言います。
実際は一般住民と同じです。
「参考」として援護法上の戦闘参加者とは
1. 義勇隊 2. 直接戦闘 3. 弾薬・食料・患者等の輸送
4. 陣地構築 5. 炊事・救護等雑役 6. 食料提供
7. 四散部隊への協力 8. 壕の提供 9. 職域による協力
10. 区村長としての協力 11. 海上脱出者のクリ舟輸送
12. 特殊技術者 13. 馬糧莵集 14. 飛行場破壊 15. 集団自決 16. 道案内
17. 遊撃隊協力 18. スパイ嫌疑による斬殺 19. 漁労勤務 20. 勤労奉仕作業
以上
●この統計には敗戦前後のマラリア等の
病死や餓死は含まれていません。
これらを入れると一般沖縄住民の死者は
15万人を超えるかもしれません。
●さらにこの統計には朝鮮半島から連行されて働いていた
朝鮮人の死亡者数は含まれていません。
推定ですが沖縄住民の死者が15万人位だとすると、
当時の県人口が60万人くらいでしたから、
4人に1人が死亡したことになります。
アメリカ軍の記録によれば、
日本軍の戦死者11万人、
捕虜はわずか7,400人で、
戦争の常識とは逆の数字です。
「最後の一兵まで・・・」という持久玉砕作戦が
多くの死者をもたらしたものと思われます。