1898年(明治31年)以降、
日本人が居留していた中国各地では
密輸に依る阿片の被害が相当あったようです。
●天津 関東庁事務官 藤原鉄太郎
「阿片制度調査報告」より
この地における取締まり、
大連の如く厳重ならざるがゆえに、
(注:大連でさえル-ズだったのですが)
密輸入の数量きわめて大なるものあるべしと信ぜらる。
天津に在住する日本人5千名、
その七割はモルヒネその他の
禁制品取引に関係を有するものなりという。
薬種問屋はもとより、料理屋、雑貨屋ことごとく・・・・
皆モルヒネの現物大取引をなすという・・・・
居留地に於ける日本人の繁栄はモルヒネ取引の結果なり・・・・
居留地には現に煙館70軒あり、
その他煙土(注:阿片)を販売する家100軒ありという。
●天津 ラッセル・パシャ
国際連盟アヘン諮問委員会エジプト代表
(1937年会議議事録 東京裁判資料)
天津の日本人居留地は今や世界のヘロイン製造及び
アヘンの喫煙の神経中枢として知られている。
洋行或いは外国商会名で経営される
アヘン或いはヘロイン魔窟はまさしく1000を超えている。
公然販売するホテル、店舗その他の建物が数百ある。
200以上のヘロイン製造所が面積4平方マイルにすぎない
日本人居留地に散在している・・・・
新工場が毎日開設されている。
工場はまったく公然と稼業している。
世界における全非合法的白色麻薬の9割が日本製であって、
天津の日本人居留地、大連市内あるいはその周辺において、
あるいは満州、熱河および中国の他の諸都市において、
必ず日本人か日本人の管理のもとに製造されている。・・・・
中国民族のみならず、世界のすべての他の国々が弱体化され、
堕落させられるにはここから始まるのである。
● 上海 同上報告より
上海は南方における禁制品輸入の関門にして、
モルヒネその他の麻酔剤もまた多くこの地に集まる。
日本より輸入せらるる数量また多額に上がるべしと思惟すれども、
正確なる統計を得る事能わず。
● 上海 岩村成允「支那におけるアヘン取締の実況」
(中国の公使館、領事館に勤務) 1928年の講演から
モルヒネは近年ますます盛んになって参りまして、
その集散地はやはり南は上海で、
北は大連に輸入して参り、こ
れも多くはヨ-ロッパ方面の物産が多いようです。
日本の神戸に陸揚げされ、
それから積替えて南方は上海、
北方満州方面に分散されるものは、
ほとんど多くは大連に輸入されるという話であります。
明治以降、満州事変くらいまでは、
阿片や麻薬の密造・密輸・密売は悪徳企業か不良日本人の非行であって、
日本政府や現地の日本軍は保護したり黙認していただけでした。
(注: それでも問題ですが)
しかし満州事変以降は日本の国策として
公然(?)と遂行するようになりました。