慰安婦の強制連行に関して吉田清治証言が不正確ならば、
その他多くの証拠を取り上げます。
まずフィリピンです。
●フィリピン人「従軍慰安婦」裁判訴状から
フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会資料から
齢 | 名前 | 連行状況 | 連行場所 | 被害時期 |
14~ 15 | マリア・ロサ・ヘンソン | ① パサイ市マッキンレ-要塞付近薪集め中3人の日本兵に強姦 ②アンヘレス市病院前検閲所で呼び止められ | 病院等に監禁 | 42年2月 43年3月 |
19~20 | アナスタシア・コルテス | 夜2時頃、家から縛られて夫と日本軍トラックで | マニラ市サンチャゴ要塞に 監禁6ケ月 | 43年 3~4月 |
13 | トマサ・サリノグ | ① 就寝中、日本兵2人。 ヒロオカ大尉に引きずり出され ② オクムラ大佐に捕まり、 炊事洗濯、輪姦 | 駐屯地隣接の家に監禁 石原産業倉庫 | 42年前半、数ケ月 43~45年 |
16 | エステリ-タ・サラス | 昼食準備中日本兵3人に捕まる | エマニュエル病院 | 42年から |
18 | ロザリオ・ノプエト | 洞窟から出る時日本兵に捕まる | 駐屯地(町役場) | 44年 |
19 | フランシスカ・アウスタリ | 川で洗濯中日本兵に捕まる | 民家に監禁 | 42年12月 |
15 | フリア・ポラス | 家のそばで日本軍トラックに | 橋下の防空壕 | 44年11月、8ケ月 |
15 | サビ-ナ・ヴィリエガス | 朝就寝中拉致、他10名も強姦 | 駐屯地テント | 42年3月 |
15 | ロシ-タ・ナシ-ノ | 路上で10名位と拉致される | 駐屯地 | 43年 |
20 | ワニタ・ハモット | アパ-トで6名拉致 | オカラビル駐屯地 | 44年 |
22 | マリア・フェ・サンティリアン | 2人の将校に食堂から拉致 | 駐屯地本部ビル | 42年12月~44年 |
18 | シンプリア・マリラグ | セント・トマス大学近くで拉致 | 駐屯地 | 43年4月、1ケ月 |
16 | クリスティ-タ・アルコベル | 家から日本兵に連行 | 駐屯地 | 42~44年 |
21 | フニティ-タ・ヴィラヌエヴァ | 料理長ヤマトに脅迫 | 駐屯地内家屋 | |
20 | ビクトリア・ロペス | 洋裁している時トラックで連行 | 駐屯地監禁 | 44年 |
21 | ピュリフィカシオン・メルガ-ド | トラックで拉致 | 駐屯地監禁 | 44年 |
17 | ルフィ-ナ・フェルナンデス | 就寝中家族虐殺、拉致 | 公園内教会 | 44年12月 |
25 | フェリサ・ボルナレス | 深夜家から連行 | テント地の部屋 | 42年 |
25 | ネニ-タ・バリサリサ | 家で小林将校他に車で連行 | 山の駐屯地 | 44年1月 |
14 | アモニタ・バラハディア | 避難中、日本兵に連行 | サンチアゴ町役場 | 43年 |
15 | パシ-タ・サンテリアン | 洞窟で住民虐殺、母と強姦 | | 43年10月 |
25 | プリ-タ・カニェ-ド | 夕食支度中4人の日本兵に拉致 | 駐屯地 | 43年、1ケ月 |
18 | マリア・デル・カンポ | 家にキムラ大尉が来て強姦、拉致 | 駐屯地 | 43年4月 |
17 | ヒラリア・ブスタマンテ | ヘルモサの国道で日本兵に拉致 | 駐屯地 | 43年10月 |
17 | ヴィオレッタ・サンサロ-サ | 市場に行く途中日本兵に拉致 | 駐屯地 | 42年10月 |
22 | レメディオス・ヴァレンシア | パコ市場から軍トラックで拉致 | ① 空港近くの小屋 ② ダコダ地区の家 | 42年~43年 |
22 | ピエダット・ノプレ-ザ | 家の前で2人の日本兵に拉致 | 教会(駐屯地) | 43年3月 |
18 | ディオネシア・アマビット | 買い物中3人の日本兵に強姦 | 教会~駐屯地 | 44年3月数ケ月 |
12 | コレア・シメオン | 道路で日本軍トラックで拉致 | 駐屯地 | 44年11月 |
13 | カタリ-ナ・オファルサ | 日本兵とマカピリに連行、監禁 | 村役場の監獄 | 43年1~2月 |
10 | フェリシタス・ハンポリ-ナ | 家で5人の日本兵に連行 | 村役場の部屋 | 44年2月 |
12 | マリア・マナレス | 遊んでいると船の船尾で輪姦 | | 42年 |
訴状にはまだ多くの女性が記載されていますが省略します。
このフィリピンの例を見ると全て強制連行です。
しかも暴力的拉致です。
多くは日本軍の駐屯地で被害にあっています。
正式な慰安所だったかどうかという言葉は別にしても、
被害者から見れば強制連行されて、
駐屯地という慰安所で慰安婦の扱いを受けたのです。