[日本軍毒ガス演習所]
2012年8月13日 東京新聞から転載
旧満州国の軍事施設跡を調べている民間団体
「国境軍事要塞群日中共同学術調査団」が、
中国ハルビン市社会科学院と昨年10月末に調査した。
2006年に日本の研究者が見つけた
「満州第95部隊」の化学兵器訓練の
実施要領の資料を基に調べた。
資料は6ペ-ジで、
表紙に「第1回実物演習」「極秘 用済廃棄」等と記載。
1942年(昭和17年)の6月16~19日に、
撒毒小隊が毒ガスを撒布し、
消毒分隊や制毒分隊が対処する訓練計画が書かれていた。
猛毒のイペリット剤「きい」計700キロを使うとあり、
演習場の建物の配置図や、近辺の地図を記載。
場内の井戸水については
「絶対飲用ニ適セサルヲ以テ雑用ノ外使用ヲ禁ス」とあった。
調査団は地図に「愛河」という駅が書かれていることに着目。
黒龍江省牡丹江市の東側に現存する「愛河駅」と推測し、
地図とグ-グルの衛生写真を照らし合わせて演習場を探した。
地図の縮尺が誤っていたが、
鮮明な衛生写真を頼りに地形から場所を特定した。
現地に行くと、井戸や古い塹壕跡が
配置図通りに見つかり、資料に書かれた演習場と断定した。
以下省略
[日本軍による毒ガス実験]
日本軍は中国東北地方で化学戦の実験を行っています。
正式に実験と言われたわけではありませんが、
生体実験をしたり、ある地区に毒ガスを
空から撒いたりして死亡率を調べています。
10数回あると言われた実験では
590人以上が死傷されたといわれています。
その一覧です。
●日本軍が化学兵器の試験で無辜の民を殺害した事例
紀学仁「日本軍の化学戦」から
時期 | 試験期間と場所 | 試験内容 | 試験対象 | 結果 |
1937年初め | 牡丹江陸軍病院 | イペリット殺傷作用 | 一般人3人 | 全て翌日死亡 |
1940年 6月上旬 | 関東軍化学部隊 ハイラル飛行場以北草原 | びらん性毒剤を200kg、 面積1000m²に散布 | 農民56人 | 毒死6人 毒傷50人 |
1940年 7月中旬 | 関東軍化学部隊 フラルジ以東の草原 | びらん性毒剤を100kg 面積2000m²に散布 | 農民30人 | 毒死5人 毒傷25人 |
1940年9月 | 関東軍特別大演習 牡丹江地域 | イペリット砲弾9800発、 発射し、効能試験 | 「犯人」50人 | 全員毒死 |
1940年11月 | 関東軍化学部 ホルンベイル草原 | 飛行機から茶弾50kg 投擲、青酸30トン放射 | | 情況不明 |
1940年 8月~9月 | 第39師団 湖北省当陽 | びらん性毒剤を全身に塗る | 捕虜3人 | 毒傷後銃殺 |
13門の大砲でびらん性毒弾と 榴弾発射 | 捕虜80人 | 全員死亡 |
イペリットの殺傷及び消毒試験 | 捕虜5人 | 中毒後死亡 |
イペリットに汚染された馬用飼料 | 馬15頭 | 死亡 |
ジフェニ-ルシアンアルシン砲弾試験 12門の迫撃砲を使用 | 捕虜70人 | 69人死亡 1人重態 |
野砲1問で赤弾152発を発射 | 捕虜70人 | 中毒 |
爆弾の対比実験、 榴弾152発を発射 | 最後に殺害 |
1942年 5月下旬 7月下旬 | 関東軍化学部練習隊 内蒙古扎蘭屯 東南6キロ | びらん性毒剤を2回撒布 | 農民107人 | 7人毒死 100人毒傷 |
1943年1月 | 関東軍化学部練習隊 内蒙古扎蘭屯 東南8キロ | 大型赤筒50個、 大型発煙筒50個 迫撃砲赤筒30発 | 情況不明 | 情況不明 |
1943年 7~8月 | 関東軍化学部練習隊 黒龍江碾子山 | びらん性毒剤の試験 | 農民39人 | 4人毒死 30人毒傷 |
1943年9月 | 関東軍化学部練習隊 黒龍江碾子山 | 赤筒の効能試験 | 農民24人 | 3人毒死 40人毒傷 |
1944年 8月中旬 | 関東軍化学部練習隊 フラルジ | 毒剤100kgを 面積2000 m²に撒布 | 農民24人 | 4人毒死 20人毒傷 |
1945年8月 | 関東軍化学部練習隊 フラルジ演習所 | 赤筒30個を放射 | 農民10人 | 10人毒傷 |
上記毒ガスの生体実験の内
1940年8月~9月に第39師団が
湖北省当陽地区で行った実験は
150人以上の参観見学者の前で行われた
大規模なものでした。
戦後中国が告発した内容です。
●第39師団が抗日軍捕虜を利用して
毒ガス実験を行ったことに対する
柴田修蔵、黒瀬市夫の告発 1954年8月1日
一 時期 1940年9月14日から2週間
二 場所 湖北省当陽県当陽西南高地
三 毒ガス訓練の責任者 酒井中将
四 教官 第39師団工兵代39連隊連隊長金原中佐
五 訓練人員 第39師団第223連隊大隊長
蓑毛少佐を先頭とする将校、下士官、
兵士及び第13師団と
当陽駐屯の各部隊の派遣人員150人
六 警戒兵力 1個大隊(機密保持の任務を負う)
七 訓練及び実験内容
1 イペリット(びらん性気体)の実験。
目的はイペリットの効力、消毒方法およびその降下の研究。
宣昌作戦で逮捕した5名の抗日軍捕虜の
手足をしばるという方法で実験した。
1人目は上半身裸にし、
顔面と上半身をイペリットにさらして、
その糜爛情況を観察した。
2人目は顔面をイペリットにさらしてから
10分後に消毒を行ない、効果を観察した。
3人目は同様の方法で、間隔を20分とした。
4人目は同様の方法で、間隔を30分とした。
5人目は同様の方法で、間隔を40分とした。
実験の終了後、全員を刺殺した。
16頭の馬、ラバにイペリットに実験をする。
飼料のなかにイペリットを混入して馬、
ラバに与えると、よだれを垂らして死んだ。
外部からイペリットを放つと、麻痺したあと死んだ。
2 一時性くしゃみガスの効力実験。
宣昌作戦で逮捕した70名の抗日軍捕虜の
手足をしばりつけ、壕内に押し込むか
あるいは隠蔽した砲座のなかにおき、
12門の迫撃砲と1門の野砲で
連続20分間くしゃみ性毒ガス弾を発射し、
その後、訓練生を現場につれていって観察させた。
結果は隠蔽砲座に入りこんだ
1人が苦悶の情況を呈していたのを除いて
その他の全員が毒ガ.スによって死亡していた。
3 砲弾の爆裂殺傷力に関する実験
宣昌作戦で逮捕した70名の抗日軍捕虜の
手足をしばりつけ、壕内に押し込み、
12門の迫撃砲と1門の野砲で連続20分間、
榴弾を発射し、その後、結果を検査した。
結果は数日来降りつづいた大雨で壕内に水がたまり、
水でおぼれるか砲弾の爆撃で、全員が殺害された。