バタビア裁判・ジョンベル憲兵隊のケ-ス
やはりバタビアで開かれた裁判の一つで、
ジャワ島東部のジョンベルに駐屯していた憲兵隊関係者を裁いた裁判記録です。
「季刊戦争責任研究第83号・林博史論文」を参考にします。
まず日本の法務省がまとめた「起訴理由概要」です。
●和蘭戦争(注:オランダ)犯罪裁判概見表 (日本の)国立公文書館
和田都重はジャワ島ジョンベル憲兵分隊長にして、
川田原金之助、今野勝彌、野口武、山本虎夫、半沢勇、
河端正次、■■■■、石川春雄、橋本一義、小高寛、南良治、
小野軍次郎、佐々木敏夫、佐藤和義、梅本行雄、太田秀雄、
■■■■等は、同分隊員であるが、
同人等は、昭和17年4月より、同20年9月に至る間、
同分隊または同分隊所属の「ボントウオソ」「バニュウワンギ」等の
各分遣隊に勤務中、それぞれの在職期間中、
所属地区に於て多数の一般市民である男女を検挙して、
その尋問に当り、手拳、竹刀、バット等をもって
長時間に亘り殴打して出血する障害を与え、
または、火責め、水責め、或は、
後手に縛って吊り下げ且故意に飲食物を給与せず、
飢えしむる等の組織的凶暴及び虐待を加えて
被検挙者を死に至らしめ以て彼等に対し、
深刻なる心身の苦痛を与えたが、
なかんずく和田都重は部下と共謀して
「シャ-ンポ-ン」と呼ばれる下宿室を慰安所に当て
オランダ国籍の婦女を同所に収容して日本人相手に売淫を強制し、
野口武は、婦女「●●●●」に暴行脅迫を加えて、日本人松崎と強制的に性交せしめ、
■■■■は、「▲▲▲▲」「■■■■」の2名を強姦し、
小高寛、梅本行雄は、昭和20年8月24日頃、
「パニュウワンギ」附近の「カリグラタク」に於て、
「ア・セ・ツロツコ」及び、「ファンデルツ-スト」の2名を上司の命を受け殺害した。
全体としては残虐行為に対する裁判ですが、
憲兵分隊長の和田都重大尉が強制売春つまり
慰安婦になりことを強制した罪で裁かれています。
正式な起訴状中から和田都重大尉に対する部分を書きます。
●臨時軍法会議付託決定書 1948年1月28日付
(オランダ語の正本の翻訳)
1943年頃、即ち戦時中敵国日本の臣民として、
ジョンベルに於て姓名不詳なるも他の者等と共同し、
戦時公法及同慣習法に違反し戦犯行為をなしたり。
即ちシャンボ-ル(バウル)と呼ばれる下宿屋におりし
和蘭国籍の婦人等に売淫を強制するため、
日本人による一般に慰安所として知られている
ジェンベル内の各建物に閉じ込め居住せしめ、
同慰安所を訪問するすべての日本人の毒牙の餌食になさしめ、
ために彼女等に劇しき心身の苦痛を蒙らしめたり・・・・
裁判の時の尋問調書で、
和田大尉は「慰安所は軍政当局の監督下に開設された」「憲兵隊は関与していない」
と主張していました。
和田大尉は1948年9月11日に死刑判決を受け、
その後逃亡しましたが10月25日射殺されました。
この裁判の被告一覧表です。
●ジョンベル憲兵隊事件被告一覧 和蘭戦争犯罪裁判概見表から
軍種 | 階級 | 氏名 | 求刑 | 判決 |
憲兵 | 大尉 | 和田都重 | 死刑 | 死刑 |
憲兵 | 中尉 | 川田原金之助 | 20年 | 15年 |
憲兵 | 中尉 | 今野勝彌 | 死刑 | 死刑 |
憲兵 | 中尉 | 野口武 | 死刑 | 無罪 |
憲兵 | 准尉 | 山本虎夫 | 20年 | 10年 |
憲兵 | 曹長 | 半沢勇 | 死刑 | 死刑 |
陸軍 | 曹長 | 河端正次 | 5年 | 5年 |
憲兵 | 曹長 | ■■■■ | 5年 | 5年 |
憲兵 | 曹長 | 石川春雄 | 20年 | 15年 |
憲兵 | 曹長 | 橋本一義 | 20年 | 15年 |
憲兵 | 曹長 | 小高寛 | 死刑 | 死刑 |
憲兵 | 曹長 | 南良治 | 死刑 | 死刑 |
憲兵 | 曹長 | 小野軍次郎 | 20年 | 20年 |
憲兵 | 曹長 | 佐々木敏夫 | 10年 | 10年 |
憲兵 | 曹長 | 佐藤和義 | 5年 | 無罪 |
陸軍 | 一等兵 | 梅本行雄 | 20年 | 10年 |
憲兵 | 曹長 | 太田秀雄 | 死刑 | 死刑 |
憲兵 | 曹長 | ■■■■ | 自殺 |
注:2名のみが■になっていますが、理由は不明です。