山西省の毒ガス使用例
毒ガスを使用した地点の分布をみると
圧倒的に山西省が多くなっています。
そこで山西省だけを見てみます。
現存する日本側資料で
山西省のみで使われた毒ガスの一覧表があります。
色々な資料から集めたものです。
●現存する日本軍資料からみた山西省における化学兵器の使用量
「中国山西省における日本軍の毒ガス戦」から
資料名 | 使用した化学兵器の種類と使用量 |
歩兵第21連隊 「太原付近戦闘詳報」 1937年11月3日~1937年11月9日 | 89式催涙筒丙・特種弾若干 |
第1軍参謀部 「第1軍機密作戦日誌」巻19、1938年 | 7月6日特種発煙筒7,000本 |
陸軍習志野学校 「支那事変に於ける化学戦例証集」 1942年、戦例11(1938年) | |
第1軍参謀部 「第1軍機密作戦日誌」巻19、1938年 | 7月7日特種発煙筒3,000本 |
歩兵第224連隊 「高平作戦第2期戦闘詳報」 1940年1月11日~1940年1月16日 | 迫撃砲赤弾13発 |
歩兵第224連隊第3大隊 「春季晋南作戦戦闘詳報」 1940年4月1日~1940年5月8日 | 赤筒2本 |
歩兵第224連隊第3大隊 「晋南反撃作戦戦闘詳報」 1940年5月20日~1940年6月9日 | 赤筒25本 |
歩兵第224連隊第9中隊 「好地窊北側付近戦闘詳報」 1940年6月3日 | イタケ弾25発で「撒毒」 |
歩兵第224連隊第2大隊 「第1期晋中作戦戦闘詳報」 1940年8月30日~1940年9月15日 | 94式山砲ア弾(あか弾)62発 94式山砲キ弾(きい弾)47発 |
独立混成第4旅団 | 94式山砲特種弾13発 94式山砲軽迫撃砲あか弾43発 |
第36師団 小戦例集(第1輯)1942年12月 | 1940年9月11日あか弾使用 (数量不明) |
歩兵第224連隊堀江集成大隊 「白羊泉河及柳口付近の戦闘詳報」 1940年11月19日~1940年11月21日 | 迫撃砲黄弾18発 迫撃砲赤弾4発 |
歩兵第224連隊第2大隊 「南境掃討作戦戦闘詳報」 1940年12月21日~1940年12月29日 | 山砲特種弾8発 迫撃砲あか弾51発 迫撃砲イマツ弾18発 |
歩兵第224連隊鈴木集成大隊 「澤州南境掃討作戦戦闘詳報」 1940年12月21日~1940年12月29日 | 山砲あか弾12発 |
歩兵第224連隊第1大隊 「中原会戦戦闘詳報」 1941年5月4日~1941年6月11日 | 93式あ筒(あか筒)30本 97式あ筒(あか筒)15本 98式あ筒(あか筒)25本 |
歩兵第224連隊第3大隊 「中原会戦戦闘詳報」 1941年5月5日~1941年6月15日 | 97式あ筒(あか筒)10本 98式あ筒(あか筒)20本 |
陸軍習志野学校 「支那事変における化学戦例証集」 1942年、戦例21(1942年) | きい剤300キログラム |
歩兵第224連隊第3大隊 「晋冀予辺区作戦戦闘詳報 其三」 1942年4月5日~1942年6月4日 | 98式あ筒(あか筒)23本 みどり筒12本 |
現存する資料でしかも山西省だけの資料だけでこれだけあります。
もうひとつ豊田雅幸氏の
「中国側資料から見た山西省における毒ガス戦」という論文の中に
「山西省における毒ガス使用一覧」があります。
これも多くの資料を集めて整理したものです。
報告には301番まで番号がつけられています。
山西省だけもわかる範囲で
301回の毒ガス事例があると言うことです。
部隊名が分かるものだけを少しだけ表に整理しました。
No. | 年月日 | 県.市 | 地名 | 部隊 | 内容 |
2 | 1937.10上旬 | 原平市 | 原平県城 | 第2師団 第30連隊 | 抗日軍と一般住民に1発の毒ガス弾を 投げ込んだ |
9 | 1938.4 | 忻州市 | 平社村 | 第109師団 第107連隊 | 八路軍に毒ガス弾と榴散弾を使用、 11名殺害 |
12 | 1938.4.18 | 武郷県 | 東南 | 苫米地旅団 第117連隊 | 八路軍129支師にくしゃみ性ガスを使用 |
14 | 1938.5 | 垣曲権 | 垣曲付近 | 第20師団 第80連隊 | 中国軍陣地に催涙性毒ガス弾を 使用、30余名殺害 |
26 | 1938.6.末~ | 中陽県 離石県 |
| 第109師団小崎部隊 | 戦闘中に催涙弾を使用 |
28 | 1938.7.初旬 | 離石県 | 金楽鎮 | 第109師団 第136連隊 | 八路軍陣地にあか筒30発射、 約200名死亡 |
29 | 1938.7.初旬 | 定襄県 | 県城付近 | 第109師団 第107連隊 第109連隊 | 窒素性.催涙性・くしゃみ性ガス弾と 榴弾100発以上使用 兵士100名、農民20名死亡 |
34 | 1938.7.5 | 曲沃県 | 盈村 南下張 | 第20師団 | 中国軍陣地に毒ガス弾390発使用 毒化区域を造成 |
41 | 1938.7.16 (23) | 夏県 | 大台村 | 第30師団 第78連隊 | 戦闘中大量の毒ガス使用、 中毒者多数 |
46 | 1938.8.中旬 | 天鎮県 | 西南付近の村 | 独立混成第2旅団 | 毒ガス弾使用で兵士と住民 200名以上死亡 |
48 | 1938.8.中旬 ~9月中旬 | 代県 |
| 第11師団 第11連隊 | 2発の催涙性毒ガス弾使用 |
63 | 1938.11.中旬 | 霊丘県 | 買庄村 付近 | 駐蒙軍第2旅団 第5大隊 | 戦闘で窒息性毒ガス弾4発使用 |
64 | 1938.11.17 | 霊丘県 | 義泉嶺村 | 義泉嶺警備隊 | あか筒9発使用、被害多数 |
67 | 1938.12 | 霊丘県 | 霊丘~平型関 | 独立混成第2旅団 第5大隊 | 戦闘中20発の毒ガス弾使用 |
80 | 1939.1.30 | 遼県 |
| 第8旅団一部 | 大量の毒ガス使用 |
82 | 1939.1.下旬 | 霊丘県 |
| 独立混成第2旅団 第5大隊 | 催涙性ガス弾2発使用 |
112 | 1939.5 | 平陸県 | 県城 | 第20師団 第80連隊 | 4000個の毒」ガスを使用、 「敵の遺棄死体2000名以上と戦果報告 |
120 | 1939.5.14 | 繁峙県 | 神堂堡 | 第3旅団 1個大隊 | 中国軍に包囲されたとき 大量に毒ガス弾を使い脱出 |
126 | 1939.7.6 | 曲沃県 | 門前村 | 野戦銃砲第6連隊 第2大隊 | 敵陣地に窒息性毒ガス弾を使用 |
136 | 1939.9.25 | 長子県 | 尭廟山 | 第20師団 岩切連隊 | 大量の催涙性ガス弾を使用 |
146 | 1939.12.5 | 聞喜県 | 文峰山 | 野戦銃砲第6連隊 | 梅弾(催涙ガス)50発、 竹弾(窒息性ガス)50発を使用 |
154 | 1940.1.7 | 壷関県 |
| 第36師団 第223連隊 | 敵陣地に特種発煙筒3発使用 |
157 | 1940.2 | 翼城県 | 儀門村 | 第41師団 山砲41連隊 | 山砲でくしゃみ性毒ガス弾8発 村民500名気管障害 |
172 | 1940.5.下旬 | 岢嵐県 | 城外北山 | 独立混成第3旅団 | 小型催涙性毒ガス弾3発使用 |
175 | 1940.6.18 | 娄煩県 | 米峪鎮 | 第9混成旅団 | 大量の毒ガスを使用 |
186 | 1940.8.下旬 | 河津県 | 上嶺付近 | 第41師団 山砲41連隊 | びらん性毒ガス弾を800発使用 |
201 | 1940.10. 下旬 | 寧武県 | 上瑶村 | 独立混成第3旅団 | 毒ガス弾12発、煙幕弾20発使用 |
212 | 1941.4.10、 12 | 孟県 | 西煙村 | 独立混成第11旅団 | 西煙村の井戸に毒を流した |
213 | 1941.5.上旬 | 臨晋県 永済県 |
| 第37師団 第225連隊 | 山砲で90発の榴弾と30発の 「あか筒」を使用 |
232 | 1941.10. | 浮山県 | 南孔灘 付近の村 | 第41師団山砲 第41連隊 | 坑道に赤弾2発発射、 |
256 | 1942.6.12 | 河津県 | 閻家潤 | 井上部隊 | くしゃみ性毒ガス弾20発以上発射 |
259 | 1942.7.11 | 孝義県 | 孝義 | 独立混成第4旅団 | 窒息性ガスを使用 |
260 | 1942.7.24 | 郷寧県 | 三門村 | 第69師団 若松隊 | 38式山砲で窒息性ガス弾20発以上発射 |
263 | 1942.8.19 | 霊丘県 | 古之山 | 第69師団 独立歩兵85大隊 | 農民に毒ガス弾2発発射 |
283 | 1943.6.29 | 夏県 | 史家灘 | 第37師団 第26連隊 | 75山砲でびらん性毒ガス弾20発射 |
300 | 1942.8.23 | 汾陽県 | 県城 | 第114師団 第201大隊 | 解放軍に毒ガス使用、30人以上死傷 |
この様な毒ガス使用が301回も報告されています。
最後は1945年8月23日です。
戦争終結後も毒ガスを使用していたのです。
山西省の地図を掲載します。
●山西省における日本軍の毒ガス使用地点および調査地点