日本ブラッド・バンク

免責された第731部隊関係者の

内藤良一、二木秀雄、宮本光一等は

1950年に「日本ブラッド・バンク(後のミドリ十字)」を

創立しますが、そこにもGHQとの関係が読み取れます。

1950年大阪茨木市で開業していた内藤のもとを

二木秀雄と宮本光一の二人が訪問します。

以前から事業立ち上げの構想を練っていた内藤は

この3人の会談をきっかけに企画草案をまとめました。

 

●「株式会社日本血液銀行の企画草案」 1950年7月

政治に対する働きかけ

1.  国内各種機関に血液銀行組織をもつよう奨励する

2. 全国の保険所が災害救急用に

 乾燥血漿を常備できるよう予算措置させる

3. 失業者や貧困者からの血液供給を

 抑制する法令が成立するのを防ぐ

4. 製品のダンピングを防ぐ

5. 特殊な事業なので法人税を免除させる

6. GHQ方面の理解、指導および援助を得る

 

草案の中の経緯で内藤は

「・・・このときの上官は有名な石井四郎という人で

この研究を認めて金はいくらでも要るだけ使わせて貰った・・・」

と書いています。

 

石井の名前を堂々と出していることを始め、

この企画草案を見ると、

731部隊関係者が戦犯になることを恐れて

コソコソ逃げ回っている雰囲気はまるでありません。

免責になった証拠で、堂々と表舞台でしかも

権力とつながっていたことがわかります。

内藤は企画草案でGHQと折衝をしました。

GHQの担当官のボ-ズマン博士は厚生省に働きかけ、

宮本光一の依頼で神戸銀行小林副頭取が

日本銀行や大蔵省の了解を取付けました。

 

そして1950年9月18日、

日本ブラッド・バンク設立のための

発起人総会が大阪で開かれました。

メンバ-は11人でそうそうたる名前なので全員書きます。

◎岡野清豪(国務大臣・元三和銀行頭取)

◎橋本章吾(大五栄養化学取締役)

◎二本杉欣一(大阪府医師会理事)

◎渡辺忠雄(三和銀行頭取)

◎内藤良一(医師)

◎岡崎忠(神戸銀行頭取)

◎前田松苗(日本赤十字社評議員)

◎二木秀雄(医師・政界ジ-プ社社長)

◎小林芳夫(神戸銀行副頭取)

◎国分政次郎(三和銀行常務取締役)

◎宮本光一(日本特殊工業社長)


会社は株式会社で資本金は3,000万円でした。

個人株主の中にやはり731関係者の名前が見られます。

石川太刀雄丸、太田澄、野口圭一です。

株式の払い込みが終わって

11月20日、日本ブラッド・バンクが設立されました。

 取締役会長  岡野清豪(国務大臣)

 代表取締役専務 内藤良一

 取締役 宮本光一

 取締役 二木秀雄 

 常務取締役 小山栄二

    (元陸軍省糧秣本部で黒穂病の研究をした)


そして6年後、元731部隊長だった

北野政次が東京プラントの初代所長になりました。

まさに日本ブラッドバンクは

731部泰、政界、財界が一緒になって作った会社です

この会社がミドリ十字となり

エイズの事件を起こしていくことになるのです。