国際条約との関係

日本は早くから化学兵器の禁止条約には

積極的に参加してきました。

明治の富国強兵を実現させるための

安全策だったのかもしれません。

 

●ハ-グ宣言 (原文カナ)

 窒息せしむべき瓦斯又は

 有毒質の瓦斯を散布するを唯一の目的とする

 投射物の使用を各自に禁止する宣言

 1999年(明治32年)7月29日  海牙(ハーグ)に於いて調印

 1900年(明治33年)9月3日 批准

 同年10月6日        批准書寄託

 同年11月22日         公布

 宣言書

  下に記名するハ-グ万国平和会議に

  賛同したる諸国の全権委員は、

  之が為各本国の政府の委任を受け

  1868年11月29日~12月11日の

  聖彼得堡宣言書に掲げたる

  趣旨を体して左の宣言を南為せり

  「締盟国は窒息せしむべき瓦斯又は

  有毒質の瓦斯を散布するを唯一の目的とする

  投射物の使用を各自に禁止す

  締盟国中の2国又は数国の間に

  戦を開きたる場合に限り

  締盟国は本宣言を遵守するの義務あるものとす

  前項の義務は締盟国間の戦闘に於いて

  1つの非同盟国が交戦国の一方に

  加はりたる時より消滅するものとす

  本宣言は成るべく速やかに批准すべし

     以下省略

 

●「陸戦の法規慣例に関する条約」は、

 1907年10月に署名し、

 1911年12月に批准しました。

 

●ジュネ-ブ議定書

 窒息性ガス、毒性ガス又は

 これらに類するガス及び細菌学的手段の

 戦争における使用の禁止に関する議定書

 (通称:毒ガス等の禁止に関する議定書)

署名   1925年6月17日 (ジュネ-ブ)

効力発生 1928年2月8日

日本国  1925年6月17日署名

  1970年5月13日国会承認

  5月21日批准書寄託、公布

 下名の全権委員は、各自の政府の名において、

 窒息性ガス、毒性ガス又は

 これらに類するガス及び

 これらと類似のすべての液体、

 物質又は考案を戦争に使用することが、

 文明世界の世論によって

 正当にも非難されているので、

 前記の使用の禁止が、

 世界の大多数の国が

 当事国である諸条約に宣言されているので、

 この禁止が、諸国の良心及び行動をひとしく

 拘束する国際法の一部として広く受諾されるために、

 次の通り宣言する。

 「締約国は、前記の使用を禁止する条約の

 当事国となっていない限りこの禁止を受諾し、

 かつ、この禁止を

 細菌学的戦争手段の使用についても適用すること

 及びこの宣言の文言に従って

 相互に拘束されることに同意する。」

 締約国は、締約国以外の国が

 この議定書に加入するように

 勧誘するためあらゆる努力を払うものとする。

以下省略

 

上記1925年のジュネ-ブ議定書で

毒ガス類は禁止されていましたが、

具体的には1993年にパリで

「化学兵器禁止条約」として作成されました。

 

●化学兵器禁止条約

  1993年1月13日 パリ

  130ケ国が署名

  日本国は1995年9月15日批准

 この条約の内容についてはあとの

 「毒ガス条約の発効」で詳しく書きます。

 

日本はほとんどの会議で積極的に発言し、

率先して署名していました。

しかしその裏で世界中を欺いて

密かに毒ガス製造の準備を進めていたのです。

 

●日本代表団の声明 1932年5月20日 ロンドン軍縮会議

 化学兵器の使用禁止は出来うる限り厳格にすべきで・・・・

 それはあらゆる窒息性、

 有毒性及びこれに類する液体、物質

 あるいは工具の使用を禁止すべきで、

 この点についてはいかなる例外

 あるいは保留もあるべきではない

 

●同年11月24日 刺激剤の扱いに関する会議で

 催涙ガスはその毒害の程度において

 顕著なるものに非ざるべきも、

 これを一般攻撃に併用する時は

 甚だしき惨害を醸すに至るべきをもって、

 これは1925年の議定書にあるガスに属し、

 その他のガスと同等に禁止の範囲に置くべきものなり

 

そして使用者に対して検証と制裁も主張しました。

 

このように世界中を禁止の方向に誘導しながら、

実は日本のみ(?)着々と毒ガスの準備を進めていたのです。

そして1933年3月、日本は国際連盟から脱退するのです。

脱退する事によって、

今まで積極的に制定した

国際協定に従わないことにななりました。