北部の餓死とマラリア

沖縄本島北部の山岳地帯には

日本軍が配置されず無防備地帯でした。

将来遊撃戦をするつもりだったようです。

そのため避難民が続々と流入し、

敗戦直後には30万人以上の人口になってしまいました。

勿論食料も着るものもありません。

そこへ日本の敗残兵が入りこみ

軍民雑居になってしまいました。

敗残兵たちは「持久戦のため」という理由で

住民から食料を掠奪し、

拒否するとスパイ容疑で処刑しました。

北部での虐殺の原因は食料掠奪が目的でした。

餓死寸前の中にマラリアが流行しました。

避難した山中で餓死とマラリアで多くの家族が死期を迎えました。

米軍に保護されて収容所に入った住民は20万人以上と言われ、

集団のためにさらにマラリアは猛威を振るい、

毎日数十名が死んだといわれています。

その多くは無縁墓となっています。

●浦添市では沖縄戦が終了した6月24日以降だけで、

 243人がマラリアで死んでいます。(浦添市史より)