朝鮮での阿片政策

1910年(明治43年)日本は朝鮮を併合しました。

朝鮮では中国との国境地帯で阿片の吸煙が盛んでした。

第一次世界大戦の頃、需要の伸びでケシの栽培が増えたため、

1919年には朝鮮阿片取締令を発布し製造を制限し、

すべて政府に納入させることにしました。

日本の中国への侵略戦争が始まると、

台湾や満州、中国での阿片専売制度を維持するために

朝鮮は原料阿片の供給地となって行きました。

特に1938年(昭和13年)から6年間には8,000ヘクタ-ルにケシが栽培され、

40,000Kgに近い生阿片が

関東州、満州、台湾の各専売局に輸出されています。

又、製品としてはモルヒネ1,194Kg、

ヘロイン2,791Kgが生産されています。

 

特にヘロインは1938年に1,244Kg、

1939年に1,327Kgと2年間に集中して生産されています。

1929年から5年間の世界の年間総生産量の平均が2,097Kgですから、

朝鮮だけでも異常な量の生産と言うことになります。

(注:資料不足のため同じ時期の比較ではないため、参考の数字です)

この膨大な量は中国各地へ輸出した生阿片以外の量です。

これらの用途については資料がありませんが、

日本政府が陰で操って中国各地へ密輸密売し

利益を上げていった事は間違いないでしょう。