地域別・グアム島

グアム島は東南アジアから

移住してきたといわれるチャモロ人が大部分で、

その他はスペイン、メキシコ、フィリピン、中国系です。

当時の総人口は2,300人位で、

米国寄りで比較的文化程度は高かったようです。

1941年12月10日に日本軍が上陸し占領しました。

日本軍がグアム島で負けたのが、

1944年7月21日ですから、

2年7ケ月占領していた事になります。

占領直後の1942年2月、日本の民政府は

「善良な子女に手を出さぬよう」慰安所を5ケ所設置しています。

場所はアガニャに3軒、

後はアサン、ササです。  

慰安婦たちのケ-スは幾つかに分けられます。

 1. 内地または隣のサイパンから来た

  日本人のいわゆる「芸者」と呼ばれた女性

 2. 軍に連行されてきた朝鮮半島からの従軍慰安婦

 3. 戦争前にアメリカ人相手にホステスや

  ガ-ルフレンドだったチャモロ人の女性

 4. 占領後日本軍によって

  慰安婦にさせられたチャモロ人の女性

その中で日本人の芸者は将校や軍属用慰安婦、

朝鮮人やチャモロ人は一般兵士用と、

働く慰安所も分けられていました。

慰安所の数も少なく、

現地人の慰安婦も比較的少なかったため、

また狭い島のせい

で名乗り出る女性がいなかったため

調査は進んでいませんでした。

ただし島の内部の開墾地ではかなり

組織的な強姦が行なわれていた記録はあります。

1944年7月、

反撃を開始したアメリカ軍は

16,000発の無差別攻撃を開始しました。

あわてた日本軍は親米的で日本になつかない

チャモロ人に対して虐殺や強姦をしました。

フェナの大虐殺と言われる事件です。

 

● アルフォンシナ・サブラン・シュミット

    (当時13歳の少女)の証言を中心に

 米軍の上陸が近づいた頃、

 フェナ地区では「タケナベ」という隊長が

 16歳から19歳の少女50人を

 洞窟に閉じ込め、奉仕させた。

 7月21日(米軍が上陸)夜、

 酒に酔った日本兵は彼女たちを

 御飯と肉の祝宴に招き、

 隊長は少女たちに銃を突きつけ、

 「日本兵は戦争のために生命を与える覚悟で

 戦っている。あなたたちも日本の兵隊に

 自分を与えるべきである。」命令した。

 次々と衣服を引き裂き、

 抵抗する者は殴打し、

 ビンタを喰らわせながら、

 夜を徹して次々とレイプが行なわれた。

 兵士たちは満足すると、

 少女を射殺したり、

 手榴弾を洞窟に投げ込んで逃走した。

 他の洞窟でも18人の少女が同様にされた。

 同じころイゴ、メリッツアガットでも

 虐殺やレイプが行なわれた。