地域別・フィリピン

フィリピンの慰安婦の実体は1992年9月

TFFCW(Task Force on Filipino Comfort Women)の呼びかけで、

マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんが

証言を始めてから明らかになりました。

1993年8月の時点で

従軍慰安婦と思われる女性は75人

(注:その後100人以上になりました)、

強姦38件、拷問2軒が報告されています。

その調査の中からいくつかの証言を書きます。

 

● 被害者「A」の証言 強姦

 米を売りにマニラに行った時だった。

 姉の借家を訪ねたが留守で、

 近所一帯焼け落ちていた。

 避難場所と思われるサン・アウグスチン教会に行った。

 教会は広く、彼女がいた場所だけでも

 50人ほどの女性がいた。

 姉は彼女に顔に泥や炭を塗るように言ったのでその通りにした。

 日本兵は昼夜を問わずやってきて

 恣意的に若い女性を連れて行った。

 彼女は教会に行ってから5日後に、

 日本兵によって駐屯地になっていた

 近くの女子大に連れて行かれた。

 とにかく生き延びて子どもに

 再び会いたいという思いと恐怖で

 泣きもせず抵抗もしなかった。

 連行された建物にはたくさんの部屋があり、

 その部屋の1つに連れ込まれた。

 家具はなく、書類のようなものが

 床に散らばっているだけであった。

 まず2人の日本兵が彼女を床に倒して強姦した。

 強姦された部屋の戸が開いており、

 2人の女性が連れて行かれるのが見え、

 その後叫び声が聞こえた。

 次の日の夜また別の2人の日本兵が強姦した。

 

● 被害者「B」の証言 (臨時の軍慰安所?)

 マニラ市内の市場で物を売っていたところ、

 周囲にいた者も含めて日本兵に拉致され、

 近くの空き家でまず強姦され、

 その後現在は動物園の

 入り口付近になっている大きな家に連行され、

 かなり長い期間にわたって監禁され強姦され続けた。

 監視員の他、管理、世話をする女性もおり、

 性病検査も週1回定期的に行なわれていた。

 

● 被害者「C」 拷問と強姦

 夫がゲリラに加わったという容疑で、

 日本軍に捕らえられて駐屯地に連れて行かれ、

 角材で殴打された。

 現場では他にも拷問を受けている

 フィリピン人が数人いた。

 その後2日間にわたって強姦された。

 

次に、2001年5月29日に

東京高裁に提訴された

「フィリピン従軍慰安婦補償請求裁判」での

証拠書類から見てみます。

この証拠は防衛庁所蔵

「比島防衛295第11独立守備隊

比島討伐に関する書類其1

(第11独立守備隊 昭和17年12月~昭和18年4月)」で、

それをもとに7人の被害者と

加害部隊の調査をしたものです。

①原告 

 クリスティ-ナ・アルコベル 

 1926年7月26日生れ  当時16歳

 原告と弟は、銃や刀を持った日本兵に連行され、

 1キロほど歩いたサンホセの海沿いの

 飛行場に近い駐屯地に連れて行かれた。

 弟と引き離され、毎朝点呼を受けて

 夕方まで塹壕掘りなどの強制労働をさせられた。

 連行されて3日後から30人ほどの

 他の女性と共に浜辺のココナツヤシや

 バナナの木の下で強姦を受ける。

 最初の強姦の時に抵抗したため

 平手打ちで倒されて左鎖骨を骨折、

 さらに腿の付け根を銃剣で刺された。

 44年の秋頃の米軍による空爆・砲撃に

 紛れて逃げ出すまでの2年余り

 監禁され、強姦を受け続けた。

 ● 加害部隊 第3南遣艦隊所属第103施設部

②原告 

 アンドレサ・フェルナンデス 

 1929年2月26日生れ 当時14歳

 11月頃のある日の早朝、

 泉に行って水浴びした後、

 7~8人の小隊と遭遇し、

 「キャプテン タナカ」と名乗る日本兵(将校)により

 タリサヤン村の駐屯地に連行された。

 10日間監禁され、

 昼夜を問わず強姦を受ける。

 川で水浴びをしている時に脱走した。

 ● 加害部隊 歩兵第9連隊第3大隊(福田大隊)

③原告 

 フェリサ・ボルナレス  

 1917年12月22日生れ  当時25歳

 銃撃があると母親と林に遭難したが、

 病気の父親の面倒を見るために

 家に戻る必要があった。・・・・

 夜11時頃、

 家に入ってきた日本兵に連行された。

 パニタン町中心の公設市場内の

 テントで仕切った部屋に連れ込まれ、

 6人の日本兵から強姦される。

 公設市場は日本軍が駐屯地として使用していた。

 その後、1日に1~10人の

 日本兵から強姦を受け続ける・・・・

 ● 加害部隊 独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第2中隊第2小隊

④原告 

 トマサ・サリノグ   

 1928年12月8日生れ 当時14~15歳

 自宅に押し入った日本兵2人に

 父親は斬首されて死亡。

 サリノグさんはただちにその場から

 数百メ-トル離れた大きな建物に連行された。

 翌日未明、同じ2人の日本人から強姦される。

 サリノグさんは、2人の内1の名前を

 キャプテン・ヒロオカ・ゲンノスケと記憶している。

 その直後の3日間を除き、連日強姦が続いた。

 一般の検診はあったが、性病検査はなかった。

 置き忘れた鍵を拾って脱走した。

 ● 加害部隊 独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第1中隊

 その後又、日本兵に発見され、

 オクムラ大佐と名乗る日本将兵が

 単身で滞在するギビエ-ル通りの

 石原産業倉庫脇の家に連行され、

 たびたび強姦される。

 ● 加害部隊 独立守備歩兵第37大隊

   (後に独立歩兵第170大隊・戸塚部隊)

   第4中隊(吉岡隊)

⑤原告  

 パシ-タ・サクラン・サンティリアン  

 1928年1月7日生れ 当時15歳

 家族等11人で洞窟に隠れていたが、

 約15人の日本兵に見つけられた。

 後ろ手に縛られる。

 谷間の滝でサンティリアンさんの

 母や姉も含めて女性6人は全員強姦される。

 兄も含めた男たち3人と母・姉は

 首をはねられて殺害された。

 別の家族の2歳と3歳の子どもは

 投げ上げられて銃剣で切られた。

 ● 加害部隊 独立守備歩兵第37大隊第3中隊の

   逸木見習下士官の指揮する16名

         以下省略

 

フィリピンの国会では日本の参議院に

提出された慰安婦問題を解決する法律

戦時性的強制被害者問題の解決の促進のための法律案

全面的に支持する決議がなされました。

 

● フィリピン共和国下院第12会期第2通常国会 

 2002年10月4日提出 下院決議案799号

 フィリピン共和国議会下院は、

 未解決の「慰安婦」問題を終結させるため、

 いわゆる慰安婦として広く知られる

 戦時性的強制被害者問題の解決のために

 必要な事項を定める事を求めて、

 日本の国会に提出された法案に対する

 フィリピン共和国議会下院の全面的な支持を表明する。

 さらに、フィリピン共和国議会下院は、

 第二次世界大戦中に日本帝国軍人によって

 行なわれた性的虐待の被害者に対して

 公正に正義をもたらすために

 日本の国会に対して速やかに

 この法律を制定するように要請する。